前回の記事をUPした後に、突然の清志郎の訃報を知った。 夕べ、何か書こうと思ったけれど、いろんな思いが去来してとても言葉にならなかった。 昔大好きだったゲーノー人が残念ながら若くして亡くなった、といったレベルのものではないのだ。 訃報記事一本書いてサヨナラ、ってなわけにはいかないのだ。 僕にとって、或いは僕らの世代にとって、清志郎の存在は、いわば恩師みたいなものだ。ただの憧れのロックスターや大好きなロック歌手なんかじゃない。親や教師、生きることのつまらない面ばっかり見せてくれる大人たちの「あれはだめ、これはだめ、あれをしろ、こうしなさい。」を笑い飛ばして、自分らしくありのままに生きることのカッコよさ=ロックンロールな生き方、を身をもって教えてくれた人だ。 だから僕らは、そのつっぱり方やカッコつけ方、毒づき方、そして嘆き方や笑い方や愛し方まで含めて全部、清志郎のまねをしたんだ。つまらない人生を送っているくだらない大人たちの言うことなんか聞かなくても全然OKだぜ、俺は清志郎みたいに、やりたいと思ったことをやりたいようにやって、感じたことをそのまま言葉にするんだ、って。そのせいでずいぶん損もしたかもしれないし誤解もされたかもしれないけれど、今も自分が自分のままでいれるのは清志郎たちのおかげなのだ。 若い頃にやんちゃしててもある程度のトシになったら急に分別臭くなってしまう、僕らが子供の頃の少し上の世代の不良たちはみんなそうだった。清志郎だけは別格だった。30になっても40になっても、清志郎は清志郎のままだった。そんな大人はいままで(少なくとも日本には)誰もいなかったと思う。 だから、清志郎は、70になっても80になっても相変わらずやんちゃなまま、例えばジョン・リー・フッカーやジュニア・ウェルズみたいに、ジジイになっても渋くてやんちゃなブルースを聴かせてくれるものだとばっかり思っていた。まさか、58歳で、なんて、ね。ミックやキースやディランやクラプトンでさえまだくたばっていないっていうのに…。清志郎を見て「あんなトシのとりかたもアリなんだっ!」ってやってきた僕らは、これから誰を手本にトシをとっていけばいいんだ…なんて途方に暮れてしまうしかないじゃないか。 今日もニュースでは、清志郎の在りし日のステージやら、出棺の模様やらが映し出されていた。 コメンテーターがしたり顔で「大ファンだった」だの「日本のロックを切り開いた偉人だ」だの歯の浮くような言葉を並べている、それはそれで故人への礼儀ではあるけれど、なんだか違和感を感じる。 きっと本人は、「そのくだらない訳知り顔のコメントだけは何とかしてくれよ。お前さん、この俺の何を知ってるって言うんだ?」って思っているに違いない。「癌と闘った?当たり前だ、まだまだ歌いたかったからな。」とか、「なにセンチメンタルになってるんだよ、それよりも残された妻と子どもたちのために、今日泣いてた奴は全員、これから発売される忌野清志郎10枚組コンプリートボックスを買ってくれよな、レコード会社にもなんだかんだと世話になったからな。ゴウカ写真集付だぜ。」なんて言ってそうな気がする(笑)。 僕らが知っている清志郎はそんな男だっただろう? HAPPY HEADS/忌野清志郎 昨日から繰り返し聴いているのは、ブロックヘッズと共演したこのアルバム。
大好きな『シングルマン』なんて聴いた日にゃほんとうにボロボロ泣けてきそうだし、『KING』や『GOD』や『夢助』なんて聴いたら、この続きが聴けないのが残念に思うし、RCならチャボとの共演が二度と果たされないのがもっと残念に思うし・・・・
ファンキーでタイトな演奏に乗せてはしゃぎまくるこのアルバムでの清志郎は、いろんな呪縛から逃れてとっても無邪気で素敵だ。CDのオビにある「来日記念盤」ってジョークも清志郎らしくていい。
でも、“WATATTA”を聴いては、清志郎は河を渡ってしまったんだなぁ、なんて思ったり“ルビー・チューズデイ”の♪Goodbye~のところでは早くも涙ぐんでしまったり、ほんと♪ちょっと待ってくれ、行かないでくれ!…だよな、なんて思ったり。ただ何となく、今清志郎は、こんな無邪気な感じでいるに違いない、と思ったりしたのだ。
もうこの先清志郎の新しい歌を聴くことはできないし、クソジジイになってもブルースをぶちかます清志郎の姿を見ることはできない。それは本当に残念だ。
けど、人の寿命は、その人が誰かの記憶から失われない限り続いていくのだと思う。
例えばジョン・レノンのスピリットがジョンの歌と共にたくさんの人の中で生きているように、清志郎もこれからも、たくさんの歌とともに僕らの中で生き続けていくはずだ。
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