ぼちぼちいこか / 上田正樹と有山淳司Released:1975
大阪へ出て来てから 可愛いい女と呼ばれたい あこがれの北新地 Come on おばはん みんなの願いはただひとつ 雨の降る夜に 梅田からナンバまで とったらあかん 俺の借金全部でなんぼや 俺の家には朝がない 買い物にでも行きまへんか なつかしの道頓堀 生粋の関西ネイティヴのへ理屈かもしれませんが、英語は大阪弁で訳したほうが理解しやすいです。
表現が直球というか、リズムが近いというか、例えばHELLOは[kon-nichi-wa]という三つの音節ではなく[maido]と一音節で発した方がニュアンスが近い。THANK YOUだって、[ari-ga-tou]よりもしゅっとひとこと、[ohkini]の方が近いし、I LOVE YOUだって「私はあなたを愛しています。」と訳すから気恥ずかしくなって言えなくなってしまうのは当然で、ニュアンスとしては[sukiyanen]のほうが断然近いのではないかしら。
まぁそんなへ理屈はともかくとしても、その昔、大阪にはブルースを大阪弁に訳していた男たちがたくさんいた。
上田正樹と有山淳司の『ぼちぼちいこか』も大阪弁で歌われたブルースの名作。
この名作を"しょーもない"というには抵抗があるような気もするけど、いや、違う、これこそ大阪弁でいうところの"しょーもない"="けったいであほくさいけどどっか憎めん"、という意味でのしょーもないアルバムやと思うわけです。
俺の借金全部でなんぼや なんて、ほんまあほくさいコミック・ソング。
そもそもこの自堕落な暮らしぶり。それでいながらこの窮状を笑えるユーモア。
それから、これはもっとえげつないのは
とったらあかん やな。とりあえずめっちゃおもろい。腹抱えて笑ろてまう。
監獄入ってまでも抑えきれへん欲望って、、、やりすぎやろ(笑)。
せやけど、これらは単なるコミック・ソングとはちゃうと思うんです。
これらの曲のテーマは、つまりは、ユーモアの向こうに滲み出る、どん底の暮らしの悲哀。欲望に負けてしまう人間の弱さ。そしてこういう暮らしの人がいるというドキュメントであり、そういう社会へのアンチテーゼでもあるわけで。
1900年代初頭アメリカ南部で生まれたブルースは、そもそもは奴隷労働に従事した黒人たちの、癒しと慰めと憂さ晴らしのための音楽で、そこには世の中の底辺から見た怒りや笑いがある。
もはや笑うしかないほどせっぱつまったどん底の暮らしの中では、きれいごとのお説教ではなく、下ネタも犯罪ネタも含めてきわどすぎるくらいの本音で歌にするからこそ癒され慰められるのだ。
そういう意味で上田正樹と有山淳司がこのレコードで表現したのは、スタイルとして真似してみただけののブルースではなく、ブルースのスピリットそのものだったと思うのです。
自分の立ち位置から感じたこと歌うこと。
これがブルースからロックに手渡されたバトン。
時にはシリアスに、時にはユーモアも交えつつ。
そういう歌を歌える前提として、表現の自由が保証された社会があるのだけれど、どうもこのところきな臭い匂いが漂っている気配がする。
まして弱者が強者をからかったり批判したりすることを規制するならば、ブルースやパンクなんて歌えない世の中になってしまう。
政治家って職業は何やったってどこかからは批判されるわけで、たいへんな職業だと同情はするけれど、批判にいちいち目くじらを立てて癇癪起こして腕力でひねり潰そうとする様は無様というか自らの底の浅さを晒しているようでみっともないったらありゃしないですわ。
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関西弁はもっちゃりしてるけどリズミカルなとこはありますよね。くどくど説明調ではなくフィーリング、ニュアンス優先ぽいとこもあるかもしれません。