NHKのサウンド・ストリートだったかな、深夜のFMラジオから“ 15の夜 ”が流れてきて、当時ブルース・スプリングスティーンやジャクソン・ブラウンを知ったばかりだった僕は、日本にもこんなストリート感覚を持ったロッカーが出てきたことに驚き、そしてそのシンガーがまだ18歳だということに二度驚いた。同世代でこんな歌を歌う奴がいるんだ!ということに興奮して、翌週には彼のデビュー・アルバムを手に入れた。 そして、そこに綴られた、十代だからこそのリアルな言葉に共感した。そう、そうなんだよ、そんな気持ち。友だちとも誰とも共有できなかった思いをコイツは歌ってくれている、と。 パッとしない毎日、欺瞞に満ちた大人社会へのいらだち、自分自身へのどうしようもやり場のない煮え切らない感とふがいなさ、やりきれなさ。 だからといって勉学やスポーツにいそしむわけでもなく、仲間とつるんでたむろするわけでもなく、親や教師と、時には警察官や電車ですれ違っただけのくたびれたおっさんと小さな小競り合いを繰り返しながら、ただただ日々募っていく不安と不満の中で喘いでいた。 授業なんて上の空で、教室の窓から空を見上げながら頭の中で“ 街の風景 ”を繰り返し口ずさみ、大好きな女の子と“ I LOVE YOU ”や“ OH MY LITTLE GIRL ”を聴くシーンを妄想し、学校帰りに自転車飛ばしながら“ 十七歳の地図 ”を大声で歌い、"ハイスクール Rock‘n’Roll"でカラ元気を出して、まったく"はじまりさえ歌えない"、と自嘲し、悔しいことがあった夜にはひとり“ 僕が僕であるために ”を聴きながら拳を握りしめた。 その頃大好きだったたくさんのロック・バンドはどれも威勢良く突っ張って世の中に挑戦するか、クールにしらけて見せながら世の中を斜めから笑い飛ばそうとしていたけれど、尾崎豊の歌はもっと正直だった。そしてとても弱かった。自分の中にある弱さをちゃんと見せてくれた。そのことは、あのやり場のない心を抱えた十七歳の僕にはとても助けになったのだった。
Author:golden blue
“日々の糧と回心の契機”のタイトルは、好きな作家の一人である池澤夏樹氏が、自身と本との関わりを語った著書『海図と航海日誌』の一節より。 “日々の糧”とは、なければ飢えてしまう精神の食糧とでもいうべきもの。“回心”とは、善なる方向へ心を向ける、とでもいうような意味。 自分にとって“日々の糧”であり“回心の契機”となった音楽を中心に、日々の雑多な気持ちを綴っていきたいと思います。
なるほどね、尾崎豊と昭和フォークの類似性ね。
確かに僕たちの世代が、昭和フォークを最後にリアルで(といっても小学生でしたが)経験した世代かもしれません。チャゲアスも長渕も最初はフォークだったところから知ってる(笑)。
本人は否定したとしても、尾崎豊の中にそういう影響があったことは確かでしょうね。