FC2ブログ

Entries

◇村上春樹 「雑文集」

村上春樹 雑文集
村上春樹 雑文集


村上春樹さんの作品と初めて出会ったのは中学生の頃だった。
『羊をめぐる冒険』だったか『1973年のピンボール』だったか、どっちが先だったかは忘れてしまったけれど、佐々木マキさんの装丁の講談社文庫の黄色い背表紙の本で読んだ。村上春樹だけでなく、片岡義男も村上龍も島田雅彦も山川健一も高橋源一郎も、ぜんぶ同じ感じで読んだのだ。今までの古臭い文学ではない、現代の若々しさとみずみずしさのある感性で拾い上げられた同じ時代の文学として。それが入り口だった。
その頃特に村上春樹に惹かれたわけではなかった。
この本で村上さんがビートルズについて「過去においてビートルズのとくに熱心なファンであったことはないし、今でもビートルズのとくに熱心なファンではない」と記しているのと同じように、僕も村上春樹の熱心なファンであったことは一度もない。それでも、90年代までの主要な作品については長編も短編もエッセイもすべて読んでいるし、おそらくは好むと好まざるに関わらず村上春樹的な影響は受けているはずだ。ビートルズがある一定の世代に対して好むと好まざるに関わらずその時代の空気として影響を与えたように。

で、『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』でも『女のいない男たち』でもなく、今更ながらに読みふけっているのがこの『雑文集』。
村上さんがあちらこちらに書き散らした文章・・・雑誌への寄稿だったり、文庫本の解説だったり、CDのライナーだったり、或いはスピーチ原稿だったり、そういったものをまとめたものだそうで、一番古いものは1979年「風の歌を聴け」が群像新人文学賞を受賞したときの受賞の言葉から、最新は2010年のものまで、いろんな種類の文章が収められている。
とっちらかってはいるけれど、いや、むしろとっちらかっているからだろうか、本人が意識して作り上げる作品それぞれの世界観とは別の、つまりは意識されたある一方向からのスポットライトの当て方で浮かび上がる世界ではなく、縦横斜め上下左右からランダムに、しかも不特定に光を当てた部分部分からそれとなく立ち上がってくる世界観、どんなテーマを書いてもそこに必ず刻印されている「村上印」とでもいうようなものがあるような気がする。

例えばひとつ引用させていただくならばこのような文章。


僕にとって音楽というものの最大の素晴らしさとは何か?それは、いいものと悪いものの差がはっきりとわかる、というところじゃないかな。大きな差もわかるし、中くらいの差もわかるし、場合によってはものすごく微妙な小さな差も識別できる。もちろんそれは自分にとっていいもの、悪いもの、ということであって、ただの個人的な基準に過ぎないわけだけど、その差がわかるのとわからないのでは、人生の質みたいなものが大きく違ってきますよね。価値判断の絶え間ない堆積が僕らの人生をつくっていく。それは人によって絵画であったり、ワインであったり、料理であったりするわけだけど、僕の場合は音楽です。


オーディオ雑誌に掲載された、オーディオにまつわる四方山話でありながら、そこには敢えて村上春樹的としか呼びようのない、人生への考察と、そこから導き出された生きることへの態度の表明がある。
もちろんそれは誰のどんな文章であろうとどんな発言であろうと必ずあるのだけれど、村上春樹のそれは非常に明晰で正確である。ややこしい言葉遣いで煙にまくことをせずにできるだけわかりやすい言葉を使いながら、読者の心にすんなりと入り込んでくる。
「価値判断の絶え間ない堆積が僕らの人生をつくっていく。」というのは、ちょっと目からうろこの衝撃的な言葉ですよね。この冷静で突き放しつつも人生への愛が感じられるような言葉は、この人ならではという気がします。
そういった言葉のひとつひとつというものは、その時その時に大きな感銘を受けなかったとしても、やがてひとつの大きな蓄積となって読者の生き方に影響を与え始めるのだと思う。
僕らの人生は、絶えず価値判断を繰り返すことで成り立っている。ひとつひとつの判断が、次の判断の道標になりながら、絶えず形を変えていく。

もうひとつ引用を。


セロニアス・モンクは僕が最も敬愛するジャズ・ピアニストだが、「あなたの弾く音はどうしてそんな特別な響き方をするのですか?」と質問されたとき、彼はピアノを指さしてこう答えた。
「新しい音なんてどこにもない。鍵盤を見てみなさい。すべての音はそこに既に並んでいる。でも、君がある音にしっかり意味をこめれば、それは違った響き方をする。君がやるべきことは、本当に意味をこめた音を拾い上げることだ。」
小説を書きながら、よくこの言葉を思い出す。そしてこう思う。そう、新しい言葉なんてどこにもありはしない。ごく当たり前の普通の言葉に、新しい意味や特別な響きを賦与するのが我々の仕事なんだ、と。そう考えると僕は安心することができる。

文章の書き方のほとんどを音楽から学んだという村上さん。村上さんが音楽について書いた文章は、実は小説よりも好きだけど(『ポートレイト・イン・ジャズ』『意味がなければスイングはない』『村上ソングス』・・・)、村上さんの文章がどんなにシビアで絶望的なことが描かれていても、多くの人にとても心地よく受け入れられるのは、音楽から影響を受けたリズムと思想によるものなんだな、と思う。

音楽のこと、作家のこと、『アンダーグラウンド』をめぐる一連のオウム真理教の事件のこと、小説の書き方のこと、そのほか諸々。
作品集と呼ぶにはあまりにも雑多な寄せ集めだけれど、むしろ寄せ集めだからこそ、そのパーツパーツから、村上春樹的としか言いようのない哲学が鮮明に浮かび上がってくる。

有名な、エルサレム賞受賞時のスピーチ「卵と壁」もここに収められています。


私が今日、皆さんに伝えたいと思っていることは、たった一つだけです。私たちは皆、国家や民族や宗教を越えた 、独立した人間という存在なのです。 私たちは、“システム”と呼ばれる、高くて硬い壁に直面している壊れやすい卵です。誰がどう見ても、私たちが勝てる希望はありません。壁はあまりに高く、あまりに強く、そしてあまりにも冷たい。しかし、もし私たちが少しでも勝てる希望があるとすれば、それは皆が(自分も他人もが)持つ魂が、 かけがえのない、とり替えることができないものであると信じ、そしてその 魂を一つにあわせたときの暖かさによ ってもたらされるものであると信じています。

秘密保護法や原発再稼働、集団的自衛権の問題を考えるとき、それから日々の仕事の上でも、ここで語られたようなシステムと個人に関する認識を忘れたくないと思う。



スポンサーサイト



この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
http://goldenblue67.blog106.fc2.com/tb.php/954-e7219bfd

トラックバック

コメント

[C2289]

まりさん、こんばんは。
村上春樹さんの文章が読みやすいのはやっぱりリズムのよさ、なんですかねぇ。
あんなふうに空虚な感じをさらりとはこなせないなぁ、と思いつつやっぱり引き込まれてしまうのですが。
世間であんなに村上春樹が売れていて読まれているわりには世の中が村上春樹的になっていかないのはちょっと不思議です。

  • 2014-07-01 23:54
  • goldenblue
  • URL
  • 編集

[C2288]

「多崎つくる…」もスンナリ読めたし 乾いた部分に水がす~っととおるようにこの人の物語が違和感なく入ります。
「雑文集」も図書館で探してみよー

セロニアス・モンクは 家にあるけど聞くことはないでしょう。
  • 2014-07-01 21:25
  • ひるのまり
  • URL
  • 編集

[C2287] Re: モンク

deaconblueさん、こんばんは。
セロニアス・モンクのことは実はあまりよく知らないのです。イマイチピンとこないままで。
ただ、どんな天才でも生涯に渡って新しいアイデアを出し続けるのは不可能なのであって、ひとつのことを方法を変えながら語り続けていくものなのかなー、という気がします。
  • 2014-06-30 22:53
  • goldenblue
  • URL
  • 編集

[C2286] 管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

コメントの投稿

コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する

Appendix

Profile

golden blue

Author:golden blue
“日々の糧と回心の契機”のタイトルは、好きな作家の一人である池澤夏樹氏が、自身と本との関わりを語った著書『海図と航海日誌』の一節より。
“日々の糧”とは、なければ飢えてしまう精神の食糧とでもいうべきもの。“回心”とは、善なる方向へ心を向ける、とでもいうような意味。
自分にとって“日々の糧”であり“回心の契機”となった音楽を中心に、日々の雑多な気持ちを綴っていきたいと思います。

Calendar

09 | 2020/10 | 11
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

Gallery

Monthly Archives