New Boots & Panties / Ian Dury & The Blockheads Released:1977
ブロックヘッヅたちの宴に行くべきだぜ、あんた
斑点だらけでがさがさの肌で
歯に食いカスつけたまんま
あいつらがいるのは世にも恐ろしい世界
女みたいにぶよぶよの乳
靴はまるで死んだ豚の鼻みたい
コーンフレークみたいなジャケットに型通りのズボン
口はだらしなくふさがることがない
(
Blockheads )
ブロックヘッヅとは、コックニーのスラングで、労働者階級よりももっと最下層の労働者たちのこと。
イアン・デューリーのことを初めて知ったのは大学生になったばかりの頃だったと思うけれど、残念ながらその頃は正直あんまりピンと来なかった。何ていうのかな、一言で言えば「品がなさすぎる」、と。
何しろ最初のヒット曲が
Sex&Drug&Rock'n'Roll 、そしてアルバム・タイトルは『New Boots and Panties』、ちょっと気のおかしい酔っぱらいみたいな風貌、決して上手いとは言えないダミ声。スラングだらけで露骨でどぎつい歌詞。
世間知らずの学生にはさすがにちょっとヤバいんじゃないかと思うような世界だったのだ。
しかし、今改めて思うのは、この「品のなさ」こそがイアン・デューリーの魅力なのだ、ということ。
イアン・デューリーは1942年ロンドン郊外の生まれ、父親はバスの運転手、母親は介護士という労働者階級の家庭に育ち、幼い時期にポリオに罹って左半身が不自由になった。障がい者の学校と普通校を行き来しながらどちらにもうまく馴染めない少年時代を送ったそうだ。
いじめやからかいなど辛いことは山ほどあっただろうし、そんな中で人間の醜いところもたくさん見てきたのだろう。
しかし、だからこそ、イアン・デューリーの歌は、人間の本質をリアルに感覚でとらえ、ありのまま包み隠さず表現するという意志に貫かれている。
どんな目にあおうと、それでも俺はここにちゃんと存在しているんだという確かな力が感じられる。
気負ったりムキになったりせずに、自分を嗤う余裕さえ持ちながら。
そのイアン・デューリーを支えているのがブロックヘッヅのツワモノたち、チャズ・ジャンケル (g)、チャーリー・チャールズ (ds)、ノーマン・ワット・ロイ (b)、ジョニー・ターンブル(g)、ミッキー・ギャラガー(key)、デイヴィー・ペイン(sax)。
ベースとドラムのみならずギターもキーボードも細かくリズムを刻むファンキーさがこのバンドの真骨頂。粘っこくて張りと艶があって、それでいて飄々としている。
Wake Up And Make Love With Me や
If I Was With A Woman みたいなファンキーな曲や レゲエを取り入れた
Billericay Dickie 。
I’m Partial To Your Abracadabra や
Clevor Trever みたいなタイトでどっしりとした演奏もあれば、
Blockheads や
Plaistow Patricia 、
Blackmail Man では荒々しく品のないパンクな演奏。
そんなファンクからレゲエからパンクまで、自由自在で鉄壁の演奏が彼らの持ち味だ。
一番好きなのはシングルになった
Sweet Gene Vincent だな。
ミッキー・ギャラガーのピアノとチャズ・ジャンケルのいかれたギターが弾けるロックンロール。
聞くところによると、ジーン・ヴィンセントも軍隊での事故で半身が不自由だったらしく、この曲にはそんなヴィンセントへのリスペクトがあふれている。そしてブロックヘッヅたちと同様に、抑圧され自由を奪われているキッズたちへの賛歌になっている。
学生の頃はよくわからなかったけれど、いろんな経験を経てこの歳になると、こういうあっけらかんと飄々としてしかし芯にはブレないスピリットを持ったものこそが本当のかっこよさ、本当の強さだと思うようになった。
強さとはパワーではなく折れないしなやかさやしたたかさのことなのだ、と。
彼らの品のなさの裏にある気高さ。
見た目はそれなりのかっこをしてそれなりの肩書きを持って偉そうなことを語っているけれど、実は心底下品な奴らが山ほどいる。ああいう人たちの下品さに比べて、イアン・デューリーの品のなさはなんと潔いことだろうか。
でっかい台風が一段落して、いよいよ蒸し暑い季節になってきました。
暑い季節にはホットな音楽を。クールな音で涼んでいられりゃそれに越したことはないのだけれど、そうもいかないのならば、暑さに負けない奴をぶち込んでタフにやっていくしかないのだ。
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このかっこよさは確かに、若いときにすぐ理解できる感じではないですね。
人生の苦いところや酸っぱいところ、その味わい方も含めてわかるようになってから、って感じですね。