RAZOR SHARP / 忌野清志郎 & Razor Sharps Released:1987
世間ではゴールデンウイーク・ムード漂う5月2日の深夜、久しぶりに夜更かししながら聴いている清志郎。
誰かの命日を思い起こして感傷的になったり、普段は忘れているくせにこれみよがしに思い出したりするのは好きではないのだけれどやはりこの人だけは特別だろう。
いや、そもそもこれみよがしに思い出したわけではない。清志郎は今も僕の中では普通に生きている。ただ、もう新しい曲が聴けないというだけのことだ。
忌野清志郎、1972年にRCサクセションでレコード・デビュー。芸能活動は実質35年。
その活動を振り返ってみると、ガンガンに攻めまくるアッパーな時期ととてもナーバスでダウナーな時期が何度か繰り返されている気がする。
高校生のときに組んだトリオでそのままデビューして↑、しかしまるで売れずに↓のどん底時代、チャボと組んでロックバンド化して↑、ブレイク後忙しさと音楽関係のギョーカイのめんどくささに嫌気がさして↓、その後、ブロックヘッズと組んでのこのソロ、カヴァーズ、タイマーズと↑↓↑を暴走気味に突っ走ったあと、地下に潜ってインディーズでの活動でも、ゴキゲンなバンドだったり気まぐれなソロだったり新しいバンドを組んだりやめたりを繰り返しながら、「KING」以降の王道路線復活で↑。
そんなふうに清志郎の活動を俯瞰したときに、「ラプソディー」と同じくらいポイントになっているのがこの「レザー・シャープ」だったのだな、と改めて思う。
発表当時、僕は大学生。
いきなりのぶっといベースから始まる
WATTATA(河を渡った) を聴いてぶっとんだ記憶がある。なんだ、また清志郎がやんちゃなことし始めたな、どうせミック・ジャガーのソロにでも刺激されたんだろう、まぁ今までも梅津和時や早川岳晴とDANGERやったり、ジョニ-・ルイス&チャーと組んだりもしていたから気まぐれな課外活動なんだろう、みたいに思っていたのだけれど。
演奏はイアン・デューリーと組んでいたブロックヘッズの面々で、gはジョニー・ターンブル、bはノーマン・ワット・ロイ、Keyにミッキー・ギャラガー、Drのみ元クラッシュのトッパー・ヒードンが参加していたけれど、ヘロヘロで結局途中から正規メンバーのチャーリー・チャールズに戻ったらしい。
御大イアン・デューリーはラストの
Boo-Boo-Boo にちょこっとだけゲスト参加している。
演奏はもちろんファンキーでヌケがよくて、RCのもっちゃりしたバンドっぽさとは違う、タイトル通りのシャープな切れ味とタイトさがめちゃくちゃかっこいいのだけれど、曲もつぶ揃い。
先行シングルだった
AROUND THE CORNER/曲がり角のところで は清志郎得意のダブル・ミーニングがビンビンのポップ・ソウル。
90 DAYS-免停90日 もクルマの歌で、大嫌いだった交通関係の取り締まりを揶揄しているようにも聞こえるけれど、警察官の俗称に聞こえる部分は歌詞カードでは“my poor baby”となっています。
Boo-Boo-Boo もクルマ関係の歌だな。清志郎ならではのユーモアが冴えている。
RAZOR SHARP・キレル奴 はこのアルバムでは唯一のRCっぽいロック・ナンバー、逆に
SEMETE(GOING ON THE ROAD) はRCでも演らないような複雑なリズムのフリーキーな感じ。
この頃清志郎はキレキレだったのか、
CHILDREN’S FACE や
あそび とか、絶妙にとげとげしい攻撃的な言葉が並ぶ。
子供の顔した大人より信用できるぜ、大人の方が
約束なんかは真に受けたほうだけが覚えてるのさ
あの娘とはただの遊び 遊びでやったのさ
大切なものを僕にくれたんだと 捨ててからそう思ったくせに
この毒々しさは清志郎ならでは。いや、誰でもそんなひねた部分はあるんだろうけれど、そのことをこんなふうに言葉と音楽で表現できる人はそうそういない。
でもその一方で、スロウな曲がソウルフルでいいんだ。
ワザトFEEL SO SAD(CANADA SEVEN) 、
IDEA 、そして
MELODY MAKER 。
愛するきみのメロディー・メーカーになりたい
この気持ち、このギターで、君だけに伝えたい僕なのさ
MELODY MAKER と
あそび の幅、それこそが清志郎なんだと思う。
かっこいいな。
こんなブリッとしてかつソウルフルでファンキーな音、今じゃなかなかお耳にかかれない。
ついでにもう一曲、
曲がり角のところで のB面に入っていたファンキーな
Chopped Tomato Pure 。どう聴いたってチョップド・トマト・ピューレ、とは歌っていないけど(笑)。
そもそもこのアルバム、RCとしてのロンドン・レコーディングの話をメンバーが嫌がったことから「じゃあ一人で行ってやる」ってことになったんだってことを知ったのはずいぶん後のことだったけれど、ここでのロンドンでの体験が、その後のRC解散に及ぼした影響は実は大きかったのだろうな。
もしリンコさんやチャボがロンドン行きを承諾していたら?
いや、どっちにしても清志郎はWATATTAんだろうな、河を。
おれは考え方が変わった Oh変わった
いくつもの河を渡った
向こう岸の奴らがまたなんだかんだ言ってんだろう
あいつは変わっちまった
そう、おれは河をまた渡った
(
WATTATA(河を渡った) )
誰の人生にも、アップな時期もあればダウンな時期もある。
僕のたかが知れているどこにでもあるような普通の人生にも、アップな時期とダウンな時期はある。
調子に乗ってイケイケドンドンでやってきてふと振り向いたらついてきてくれているはずの仲間が誰もいなかったとか、逆におぼれてもがいているときに意外にも手を差し伸べられて助けられたり、その助けてくれた相手にやっぱりいいように利用されたり、まぁそんなこんなもありながら幾度かそうして河を渡ってきた。
多分また幾度目かの河を渡ろうとしている時期なのだと思う。
向こう岸の奴らになんだかんだ言われたって、まずは渡って次の岸にたどり着くしかない。
河を渡った先では、きっと違う風景が見えるだろう、今までいた岸辺がきっとちっぽけなものに見えるだろう。
そうやって、河を渡っていくのだ。
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ノーマン・ワット・ロイ、かっこいいですよね。ファンキーなのからハードなのまで何でもこなすし、どこか陽気でやんちゃなところがいいですよね。
ターニングポイント、うーん、そう言われると考えちゃいますね。。。