JAZZ 100の扉 (いりぐちアルテス 4) / 村井康司 最近すっかり本が読めない。集中力が続かない。
疲れているのかな、特に目が。
視力、ずいぶん落ちたもんなぁ。
3月に免許の更新があって、絶対「眼鏡必要」と書かれると思って眼鏡用意していったのだけれど、明らかに見えていないのに当てずっぽうで「右」って言ったら当たってしまって、おかげでいまだに眼鏡なしで運転しても咎められることはないのだけれど、実際は眼鏡なしで運転するのはとても怖くてできない、それくらい視力が落ちてきた。
まぁこの年まで裸眼で通せただけでもよしとしなければならないのだろうけど。
で、そんな状況でも読めるのはこういうたわいもない音楽関係、レコード関係の本だったりする。
2、3ページ軽く読んで眠りに落ちる。これがいい。
基本的に、こういうセレクトもののアルバム紹介本は大好きなのです。
限られた制限の中で何を選んで何を落としたのか、また選ばれたものの多様さや嗜好から、その人自身が浮かび上がってくるような気がするからだ。
「JAZZ 100の扉」と題されたこのセレクトの撰者は村井康司さん。
理屈っぽい偏屈者が多くて帯に短したすきに長し感が強いことが多いジャズ評論家の中でこの人とはけっこうウマが合う。
この100枚が、単なる名盤セレクトではなく、また個人史に重きを置いた嗜好の強すぎる偏ったものではないことがまず好きなところ。
ジャズのセレクトはどうしても50年代のバップ~モダン期に偏りがちなことが多いけれど、サブタイトルに“チャーリー・パーカーから大友良英まで”とあるように、各時代から国籍を問わずまんべんなく、ビッグ・バンドからフリー・ジャズ、フュージョン、アバンギャルドまで幅広く選ばれている。
しかも超がつくほどの定番(例えばソニー・ロリンズの「サキソフォン・コロッサス」やデイヴ・ブルーベックの「タイム・アウト」、ビル・エヴァンスの「ワルツ・フォー・デビー」)もあれば、一般的なこの手のセレクトではお目にかかったことのないようなもの(例えばジョン・コルトレーンは「インターステラー・スペース」というフリー・ジャズ期の作品を選んでいたり、ハービー・ニコルズやジョージ・ラッセルといった人選だったり)という選び方の中に、村井さんのジャズへの考え方が出ていて面白い。
個人的には、ハービー・ハンコックの「洪水」とかジョン・スコフィールドの「ピック・ヒッツ」とかキング・カーティスの「ライヴ・アット・フィルモア・ウエスト」とか、70~80年代のファンクやロックと出会って以降のミクスチャー的なものの充実が好感 。リズムが気持ちいいというのはジャズの前提だよね。
そして幅の広さといえば、R&Bのキング・カーティスも然りだけど、ライ・クーダーの「ジャズ」、ジョニ・ミッチェルの「ミンガス」、リッキー・リー・ジョーンズの「ポップ・ポップ」などロック周辺やエグベルト・ジスモンチというボサ・ノヴァの人(聴いたことはないけれど)も選ばれているのもいい。ジャズ一辺倒の頭の固い評論家ならまず選ばないような、というか、元々あった枠組みとしての『ジャズ』ではなく、村井さん自身がジャズだと感じたものが分け隔てなく選ばれている、という感じかな。
それぞれのアルバムに寄せられた文章も、専門的にウンチクを垂れるわけでもなく、情緒的に好みを押しつけてくるわけでもなく、村井さん自身の感じた切り口で、それは社会的歴史的背景の垣間見えるものから個人的なものまで様々だけれど、過去の評価の受け売りではなく書かれて、それがとても読んでいて心地よい。評論家の、特に一部のジャズ評論家の中には「独自の視点でけなしてこそ」みたいな感じがよくあるのだけれど、村井さんの文章からはそういう高飛車な匂いが一切してこない。「あぁ、好きなんだな。」と素直に読める。ジャズという音楽が、そしてジャズという名で呼ばれる自由で個人的な思想そのものが。
実際、音を聴いたことのない盤が大半なのだけれど、なのにとても親近感を得たり、ちょっと聴いてみてもいいかも的に心が揺すぶられてしまうのです。各盤のページの欄外にあるおまけの「関連アルバム紹介」にもにやりとさせられたり。
収録されたこの100枚が好みかどうかは置いといて、読み物としてとても楽しいです。
最後に、序文から一言抜粋。
「とっちらかった音楽聴取をしてきたせいか、ここで選んだ「ジャズの100枚」は、ジャズという音楽の多様さ、アバウトさ、幅の広さをよく表しているものになったと思う。ジャズの世界には、ピアノ・トリオだけしか聴かない、とか、フリー・ジャズにしか興味がない、といったストイックな人たちも存在するけれど、雑食のほうが楽しいと思うよ、ほんと。」
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いろいろと聴けば聴くほど楽しみが広がります。
昔は苦手だったものが案外気に入ったり。
雑食のほうが楽しいですよね。