オアシス / ハナレグミ 時々、やらかしてしまうことがある。
先日の夜がそうだった。
仲間うちで楽しく飲んでいたはずなのに、どうしてああいうことになっちゃったかなぁ。
いつもはきっちりを閉じているフタが何かのきっかけでゆるむと、どどっとあふれてしまうんだな、まるでシェイクされたコーラみたいにブシュッっと。
ちょっと立て続けにがんばりすぎてきたかな。
がんばるのが当たり前くらいに。
知らず知らずのうちに疲れが溜まっていた。
疲れを自覚できないくらいに。
100kgでも200kgでも抱えることができたはずだった荷物も、気持ちが弱ってしまうと、綿毛一枚乗せられただけで堪えきれずに崩れてしまうことがある。そういう感じだっただろうか。
嫌な気持ちにさせてしまった人には申し訳ない。
それから、いろいろと指摘されたことについては謙虚に受け止めようとは思う。
でも、じゃあどこまで受け止めればいい?って思っちゃう気持ちはどこへやればいいのだろうか。
みんな、そういう気持ちをどこへ閉まっておくのだろう。
再処理できない核燃料のゴミみたいに、どんどんと溜まっていく心の廃棄物。
この心の廃棄物問題をうまくやっていく方法はないわけではないだろう。
やっぱり、まずは溜め込まないこと。
そして、人間関係でぶつかってしまって頑なになってしまった心を、解きほぐして和らげてくれるのもやっぱり人間関係なのだろう。
わかりあえるともだちがいると、とてもありがたい。
人間なんて結局のところ、見えている範囲の中で、自分が見たいようにしか見ることができないもの。
好ましい人のすることはよりよく見えるしミスも許せるけれど、好ましくない人のすることはなかなか認められないし些細なミスも目についてしまう、そういうものなのだ。
これは決して諦めの言葉ではなく、そういう基本原理をちゃんと認識しながら、例えば今の怒りは、誰に対しても同じように怒りを感じるようなどうしても許せないことなのか?と自分に問いかけることで、些細な怒りを鎮めることができるんじゃないか、ということ。
できることならば、たくさんの人から愛されたいし、誰からも嫌われたくはない。
かといってそんなことに気を遣ってばかりいても窮屈なだけだし、きっと自分もおもしろくないし、いいところまで殺してしまう。
結局はいいところをもっともっと磨いて、信頼を得ていくしかないんだよな。嫌なところも許されるくらいにね。
静かな夜に、ぼんやりと聴いていたハナレグミのレコード。
永積タカシくんの声は、ほんとうに柔らかで優しくて、どこかまだ少しだけトゲが刺さったような感じの僕の気持ちを撫でるように流れていく。
ちょっとは優しくなれそうな気がする。
「
きみはぼくのともだち 」、素敵な歌だなぁ。
そばにいるよ
小さな明かり灯して
そばにいるよ
きみはぼくのともだち
小さな明かりに感謝。
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ハナレグミはいいですねー。癒やされます。
ゆるいけど、芯がある。ほんわかした心地よさの裏に、悲しいことも楽しいこともぜんぶ引き受ける潔さみたいなものですがあって素敵です。