浮世の夢 / エレファントカシマシ Released:1989
同世代のミュージシャンというのはどこか強烈なシンパシーを感じてしまう人が多い。
同学年なら斉藤和義、ウルフルズのトータス松本やソウル・フラワー・ユニオンの中川敬、そしてこのエレカシの宮本君。
少年時代~思春期にかけて、同じようなものを見て、同じようなことに感動したり興奮したりしてきたんだろうな、という気が何となくしてしまうのだ。こちらの勝手な思い込みなのかもしれないけれど。
エレファントカシマシがデビューしたのは1988年。
そしてこの3rdアルバムが出たのが1989年。
その年僕は学校を出て最初の会社に就職して毎日へっとへとになっていた頃だった。
そしてその2年後、僕は次の就職先を見つけるでもないままにふらりと会社を辞めて、3年近くの無職時代を過ごしたのだった。
この無職時代の生活というのが、ある意味気まま、そしてある意味ではどん底の底辺の毎日で・・・。
何しろヒマ。することがない。
四畳半一間の部屋で毎日うだうだゴロゴロ過ごしていた。
一日に何かひとつでも用事を済ませればもうその日の仕事はお終い、って感じで、今日の用事は買い物、今日の用事は洗濯。今日の用事は図書館へ本を返却する・・・みたいな。
天気のいい日は散歩して、河原で寝そべりながら本を読んで、金がなくなってきたら日雇いのアルバイトに出て、たまに学生時代に縁があった劇団の手伝いをしたり、まぁそんな感じの毎日。
丸一日人間とまともにしゃべることがないこともたびたび。
今思い返しても自分が何をしたかったのかまるでわからないのだけれど、不思議とそのうち何とでもなるだろうと思っていた。とにかく飽きるまで何にも目指さないで、何にもしないでいてやろうと思っていた。
その一方で、みんなまともに働いているのに自分はいったい何をしているんだろうかと落ち込むこともしばしば。
世をあげて 春の景色を語るとき
暗き自部屋の机上にて
暗くなるまで過ごし行き
ただ漫然と思い行く春もある
(
「序曲」夢のちまた )
この『浮世の夢』を聴くと、その頃のことが思い出されてしまう。
というか、まんまこんな生活だったのだ。
その後、僕は1994年の秋に今の会社に就職した。
就職した理由は、さすがにそろそろまともに働いてみようか、という気持ちになったこと。
それから、当時長いこと付き合っていた女性に「いいかげん働いてくれないと親にも紹介できへん。」と泣かれたこと(それはつまり、今の奥さん)。
それからなんだかんだと早や20年。
20年っていえばかなりの年月ですぜ。生まれた赤ん坊が成人するくらいの。
自分でも意外なくらいまともにやっているのでびっくりしているのだれど、それはあの茫洋とした3年間があったからこそなのだと思っている。
あんだけプラプラしたのだから、まともに働くことが実に楽しい、っというと変だけれどもそんな感じ。
エレファントカシマシも、このアルバムの後さらにパッとしないアルバムを2作発表した後にレコード会社をクビになり、移籍した先で一念発起、『ココロに花を』というとてもとっつきやすい作品で一気にブレイクしてそれから18年。
すでにアルバムは18枚も出していて、しかも出すごとにちゃんと売れているんですね。
あの珍奇でクレイジーにのたうちまわるような音楽を演っていたエレカシがまともになって離れてしまったファンもたくさんいたけれど(そういう僕ももはや全作追いかけるようなファンではないけれど)、なんとなくわかる気がするんですよね。
まともにやってみたら意外とまともに評価されてしまった。変わり者だと自分では思っていたけれど、あ、こんなふうに力まずにやればちゃんと普通にできるんじないか、みんな喜んでくれるじゃないか、、、今までなんてひねていたんだろうか・・・みたいな気分。
さすがに昔のような棘はなくなってしまったけれど、だからといってまったく日和ったわけでもなく、今も宮本君は宮本君らしい歌を歌っている。それがとてもうれしい。
このアルバムはまだそういう境地になる前の、偏屈で変わり者の宮本節が全開で、聴くものを選ぶようなところがある。
春に背を向けた暗い部屋の中で暗澹とした気持ちを抱え込んでいるような
うつらうつら 、ちょっと自暴自棄にはしゃぎながらほんの少し寂しさが顔を覗かせる
上野の山 。
GT 、
珍奇男 の2曲はぶっとびの極地。ふつうこんな曲、メジャーのレコード会社ではレコーディングしない(笑)。
そして能天気な
浮雲男 は、今もいいお天気の日に空を見ながらタバコを吸っているとふと思い出してしまう。
そう、タバコの煙は雲になるんだよな。
最後の2曲、
月と歩いた と
冬の夜 は圧巻。
そして、今妙に心にしみるのはこの曲。
これも浮世と生きるなら
生きてゆくなら
笑顔絶やさず行くもいい
行くもいい
(
見果てぬ夢 )
笑顔絶やさず行くもいい、か。
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若さ故の強情というか偏屈というか、そういうことってありますよね。
僕も後で知ったんですが、宮本さんは幼い頃合唱団にいて、才能を買われて童謡歌手としてレコーディングまで経験しておられるそうで、元々歌の才能は折り紙付きだったんですね。
いろいろ巡って、今回昭和の歌のカバーアルバムを出したというのもなんとなく納得です。
そのまま真っ直ぐ育っていてもきっとどこかで行き詰まったんでしょうし、結果的には回り道が歌の味になったのでしょうね。