政治家という職業は、非難されることが多いけれど、とても並大抵の人間にできる仕事ではないと僕は思う。まして、政権与党の中枢にいる人物ともなれば、ひとつひとつの判断がこの国の将来を、国民の将来を左右しかねないのだからほんとうに大変なお仕事だ。 “美しい国”というスローガンを提唱したこともあるリーダーは、「スパイ天国」と蔑まされているこの国がみっともなくてしかたがなかった。国の防衛上の重要な情報がダダ漏れで外国に流れている。こんなことでは「国民を守れない」、と。そう考えた彼とその仲間は、国家機密を保守するために情報の取り扱いに関して厳しい罰則を設けることができる法律がほしかった。 そのことは突き詰めて考えれば、憲法で保障されている国民の自由を侵害することを彼らはわかっていて、論議をしたら人権擁護派からのめんどくさい意見がたくさん出てきて成立するものもできなくなってしまう、法律の肝を骨抜きにされてしまう、と考え、短い期間の間で数にものを言わせて一気に成立させてしまおうと考えた。なぜなら、この法律は「国民を守るため」なのだから。 民主主義というものはやっかいなもので、国民が代表を送り込んで議論をするのだが、単なる多数決とは違う。全部が多数決で決めることができるのならば、国民全員にスイッチを持たせてすべての案件を国民投票で決めれば済むことだ。そうじゃないから議会がある。国民に選ばれた代表者たちが、国民のためにああすべきこうすべきと議論をする。その議論をすっとばしてまでも彼らは「国民を守るため」にこの法律を成立させることが必要だと考えた。 そして半ば強硬的に彼らは力づくで法案を通してしまった。 たくさんの反対の意見に耳を傾けることもせず踏みにじった。 Sometime in New York City / John Lennon Yoko Ono ジョン・レノンとオノ・ヨーコの1972年のアルバム『サムタイム・イン・ニューヨーク・シティ』に“
John Sinclair ”という曲が収められている。
明らかに間違いだ ジョン・シンクレア
刑務所に入れられるなんて
気にならないのか?彼のことが
刑務所に入れられるなんて
彼を釈放させるんだ
君や僕と同じように
奴らは10年判決を下したのだ
普通はせいぜい2年だぜ?
判事たちは他に何ができる?
絶対に
絶対に
絶対に
彼を釈放させるんだ
スライドギターと、Gotta,Gotta,Gottaの連呼がカッコいいこの曲は、MC5のマネージャーだったジョン・シンクレアのことを歌った歌。
当時泥沼化していたベトナム戦争に対してホワイト・パンサー党という党を立ち上げて反戦活動を行っていたシンクレアは、2本の大麻煙草を所持していたという罪で逮捕され、懲役10年という不当に重い判決を受ける。
ジョン・レノンはこれは言論の弾圧だと立ち上がった支援者とともに、この曲を書き「ジョン・シンクレア救済コンサート」を開催したのだ。
そしてその数日後、シンクレアは釈放された。
余計な世論を盛り上げようとする輩の口を封じたつもりでいた政治家たちは、とても苦々しい気持ちだっただろう。
ジョン・シンクレアは「別件逮捕」に対する求刑があまりにも不当だったから世論で横暴を覆すことができたけれど「奴が秘密を漏えいしたんだ。ただし、何をどう漏えいしたのかは秘密だから言えない。」となってしまっていては釈放要求すらできなかったのではないか。
権力を持っている人たちは、時々思い違いをする。自分たちが国民から国家運営を託されているということに驕って、「国民を守る」という大義名分のもとに、国民の声を聴かず、説明を果たそうともせずにつきすすんでしまうことがある。歴史を振り返ってみれば、そのようにして国が国民を黙らせようとした結果歯止めが効かなくなって暴走してしまった例はいくつもある。
今回彼らが成立させた法律は、運用次第ではめんどくさい意見を黙らせてしまう効果を持つ可能性がある。「秘密」の定義があまりにもあいまいで、かつそういった「暴走」をどのようにして食い止めるのかもあいまいだ。だから、一部の特定の政治家たちが都合のいいように情報をコントロールするために機能してしまうおそれがある。そのようなことは今回の法制定の主たる趣旨ではないにしても、運用によってはそういう権力の横暴を可能にしてしまえる可能性がある。
僕はロックが好きだ。
それはロックという音楽が「自分自身の感じたことを感じたとおりに歌い演奏する」ことを核としている表現形態だから。
そしてそのことにずいぶんと励まされ慰められ勇気をもらって今の自分があると思うから。
例えばこのジョンの『サムタイム・イン・ニューヨーク・シティ』は、シンクレアのことだけではなく、“
女は世界の奴隷か ?”“
血まみれの日曜日 ”“
The Luck Of The Irish ”などその当時の社会問題を時事的に取り上げてかわら版的に歌にした楽曲で成り立っている。収められた歌たちは、ジョンとヨーコがそのときに感じていた世界への違和感や異議申し立てをそのままの形でストレートに表明しているからこそのパワーを持っていて、それは商売を目的として作りこまれた音楽とは持っている力がまるで違う。伝わってくるエネルギーがまるで違う。
こういう音楽の力は、自由な発言ができる社会だからこそ存在し得るものだ。
僕はそういうことが可能な時代の可能な地域に生まれたことにとても感謝している。
だからこそ、自由な発言を制限されかねないようなキナ臭い世の中にはなってほしくない。
そのためにも、おかしなことには「NO!」ということが大切だ。
「NO!」と言える勇気を持っていたいし、その「NO!」の発言を受け止めることのできる社会であってほしい。
折しも、ジョンの33回目の命日に、改めてそう思う。
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現政権が誕生したときから危惧していたことがいよいよ具体的な動きになってきたということでしょうか。
ほっといたら原発はあちことで再稼働され自衛隊は憲法が書き換えられ自衛隊が国防軍になり、今回の法律は治安維持法化されてしまう???
「NO」と言える勇気、そう書いている自分も、いついかなる時にも声をあげられるのか、それは自信がありません。一人でNOを叫んでもつまみ出されておしまい。
共感しあう大勢がみんなで声を出し続けていくことが大事なんでしょうね。こういう法律が成立してしまったからこそ尚更。