Tony Fruscella / Tony Fruscella 11月に入って初めての、そして多分最後の、何の予定もない休日。
穏やかな小春日和。
おいしいコーヒーを淹れて、頭からっぽにして、ぼおっとしながら聴いていたのは、『TONY FRUSCELLA』というアルバム。
トニー・フラッセラというトランぺッターの1955年の作品で、邦題は『トランペットの詩人』。
これが実に穏やかで、くつろげるいい演奏なのです。
くつろげるといってもゴージャスでいたれりつくせりの贅沢さではない。むしろシンプル。
シンプルだけど、素朴さや田舎っぽさではない。
音数や口数はとても少ない。
しかし饒舌ではないからといって朴訥としているわけではない。
何というんだろうか、こざっぱりとキリッとした感じ。
でもキリッとはしていてもどこかぼんわりとやわらかい。
トランペットっていう楽器は、どちらかというと小回りが利いて溌剌とした感じ(例えばリー・モーガンみたいに)でどちらかというとテナー・サックスやアルト・サックスみたいに情感を込めた表現はしにくい楽器である印象があったのだけれど、この人の音色はちょっとくすんでくぐもったような淡い感じが独特で、でもどことなく人懐っこいようなところもあって、心の中までスッと入ってくるようなやわらかさがある。
気の合う人とたわいもないおしゃべりをしているようなやわらかさ。
どこかちょっと寂し気でもあって、だからといってドン底ではない、ほんの少しのやわらかな後悔のような優しさと穏やかさ。
I'll be Seeing You Metropolitain Blues His Master's Voice Blue Serenade 実はこの人のことは、まるで知らなかったのです。
何しろこのトニー・フラッセラは活動期間がとても短く、リーダー・アルバムとしてはこの一枚しか録音を残していないのだそうだ。
1927年生まれだからマイルス・デイヴィスやスタン・ゲッツとは同世代で、実質の活動時期は1953年~55年の3年ほどしかない。麻薬禍で体を病み、そのまま復帰することなく42歳の若さで亡くなったのだそうだ。
僕はそんな伝説などまるで知らず、たまたまCD店の1000円ワゴンで見かけて、ジャケットの雰囲気とタイトル、帯にあったジェリー・マリガンやチェット・ベイカーなどの名前に惹かれて、というか何となくビビビッと来るものを感じて購入したのでした。
実は僕はレコードのジャケットで自分の好みの音楽を引き当てる才能があるのです(笑)。
あっ、これっ!と思ったものはだいたい外していない、と思う。
ただしこの「あっ、これっ!」っと来る感じは、レコード店で実際にディスクを手に持ったときにしか発動されない。
インターネットが普及してマニアックな盤が手軽に手に入りやすくなったのはとてもありがたいことなのですが、逆にこういう何となくビビビッと来るような偶発的な出会いがすっかり減ってしまったのは残念なことです。
だいたい、自分で集める情報はどうしても偏食気味になりがち。
偏食を続けているうちに段々とその情報が作り上げていく虚構の自分自身が出来上がってきて、やがてはその自分で作った虚構の像に縛られてしまって身動きがとれなくなってしまいそうになったりする。
たまには気の向くまま、勘の働きにまかせて。
心のバランスのためにはとても必要なことですね。
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予算には限りがありますからそうそう冒険もできにくいのですが、ネット環境がよくなったおかげで、ついついちょこっと試聴してわかった気になっているものも増えてきてしまって、逆に本当の出会いが減っちゃってるような気がします。
たまには冒険もいいかな、と。