やわらかなレタス / 江國 香織 ずいぶんと本に関しての記事を書いていないと気づいた。
それもそうだろう、そもそもこの数ヶ月まともに本を読んでいない。
今日はあれとこれを片付けて、あれとこれの準備をして、この打ち合わせをして、その間にいろんな質問やら問合わせやらに対応して、なんて慌ただしく脳みそをフル回転させる毎日の中で、本を読む時間をすっかり置き去りにしてしまっていたようだ。
「心を亡くすと書いて忙しい」とは昔からよく言われることだけど、忙しすぎるのはほんとよくない。
涸れてくるというのかな、ひらめかなくなる、感動が鈍くなる、言葉がスッと出てこなくなる。
インプットとアウトプットのバランスが崩れてしまうと、いくらアイデアをひらめかせようと絞っても絞っても何にも出てこなくなる。
絞り出してばかりじゃダメ、心にもちゃんと水やりをして肥料を与えて耕してあげることが必要なのだ。
江國香織さんの文章は、いつもキラキラと美しい。
みずみずしいサラダや新鮮な野菜ジュースみたいに、ただ摂るだけでおいしくて栄養にあふれているような感じ。
あくせくと脳みそを働かせて考えることを要求しない。
そこにあるものをただ受け入れるだけでいい。
よく晴れてはいるけれどとてもよく冷えた冬の休日に、のんびりしながら読むにはちょうどいい。
おいしいコーヒーを淹れてその香りを楽しんだりしながら。
この「やわらかなレタス」は、食べものにまつわるエッセイではあるけれど、どこそこで何を食べた、どんな味だったみたいなことことをつらつらと書いたものとは少し違う。
このエッセイの主役はあくまでも人。
友達や家族や恋愛、人との関わりとの中に食べることが介在しているところがなんとも素敵なのです。
ちょっとほんわりと、ときにはおもしろおかしく、笑ったり共感したりありえないっ!と呟いたりしながら、一気に読んでしまうのがもったいなくなってひとつひとつのお話を味わうように読んだ。
そして、自分自身とたいせつな人たちの間にある食べもののことをいろいろと思い出した。
幼いころに母親がせいろで蒸しあげてくれた豚まんのおいしさやおせち作りで台所に立つ姿。
夏休みの親戚の家で食べたメイプルシュガーのトーストの甘さ。
弟が作りかけの梅酒の梅を間違って食べて酔っぱらってしまったこと。
母親の作るベーコン入りのクリームシチューを兄弟がみんな大好きでよくおかわりしたこと。
そういえば父親の葬儀の関連で三兄弟が集まったとき、三人ともインスタントコーヒーの入れ方が同じだったことには笑ってしまった。
父親がたまにお土産で買って帰ってきたヒロタのシュークリーム。
「年に一度は家族で食事する」ことにこだわっていた父親が連れて行ってくれたうどんすきやかに道楽。
給食のまずい牛乳、運動会のお弁当、学食のカレーうどん。
河原でトラックの中で食べていた冷たい菓子パンのまずさとむなしさ。
配送に遅れて昼ご飯を食べ損なったときにパートさんが握ってくれたおにぎり。
課題が遅れて事務所に帰るに帰れない野郎同士が集まって腹ごしらえしたたこ焼き。
いつも落ち合うお店で食べるオムライスと和風きのこスパゲティー。
家族で食べる回転寿司や娘が「黄色いラーメン屋」と呼ぶ近所のなじみのラーメン店。
日帰り出張の夜に電車で食べた駅弁。
リラックスした時間に気の合う仲間とつつくピザ。
誰かとの関わりの中には必ず食べものの思い出がある。
思い出し始めたらもうとてもじゃないけどキリがないな(笑)。
さて、いよいよ今年ももう残すところあとひと月。
いろいろと慌ただしいことだらけだったけれど、そしてそういう諸々の問題はすぐに解決するわけでもなくまだまだ新しい問題が押し寄せては来るのだろうけれど、せめてやわらかい心で、穏やかに向き合いたいものです。
そのためにも、人とゆっくりお話したり、本を読んだりする余裕は持っておかなくっちゃね。
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トラックバックの仕方が実はあまりよくわからなくて(笑)、近々研究します。
江國さんの文章はきれいで豊かで、おいしいお水で喉を潤したみたいにすっきり、気持ちがクリアになります。
素敵ですね。