I'm Jimmy Reed / Jimmy Reed Recorded:1953-58
ブルースの街、シカゴ。
1920年代から40年代にかけて、100万人以上の黒人たちがシカゴやデトロイトといった北部の都市へ移動した。
背景には、第一次大戦~第二次大戦にかけて大きく発展した軍需産業を支える工場での雇用需要増があった。
従事していた綿花畑が化学繊維にとってかわられて職が減ったこと、それに1927年のミシシッピ大洪水での農村の潰滅の影響。南部に根強く残っていた厳しい人種差別から逃げ出してきた者もいるだろう。アメリカ政府が外国からの移民の受け入れを事実上停止したことも、労働力不足の要因になったともいわれている。
新天地に生活の糧を求めてか、あるいは故郷を捨てて逃げ出すようにしてか、いずれにしても多くの黒人たちが新しい人生の転機を求めて北部の大都市へ移動した。
そして、思い描いたようには進まない大都会で彼らは、過酷な仕事の疲れを酒場で歌い演奏されるブルースで癒やしたのだ。
そんな状況の中で、南部の腕自慢のブルースマンたちも、大都会で一旗あげようと北部へ向かった。
ジミー・リードもそんなふうに南部から出てきたブルースマンのひとり。
もう20数年も前にシカゴを訪れたことがあるけれど、“ウィンディー・シティー”の愛称どおり、とても風の冷たい街だった。
6月の末だったにも関わらず、ミシガンを越えて風がビュウビュウ吹きつけて来るのだ。
6月でこの寒さなら真冬はいったいどんなことになるんだろうか、なんて思ったもの。
比叡おろしの吹く京都も冬の冷え込みはかなり厳しいけれど、きっとシカゴの寒さに比べればなんてことはないんだろうな。
Honest I Do Go On To School My First Plea Boogie In The Dark You Got Me Crying Ain't That Lovin' You Baby You Got Me Dizzy Little Rain Can't Stand To See You Go Roll & Rhumba You're Something Else You Don't Have Time To Go ジミー・リードのブルースはゆるい。
ゆるいリズム、すっとぼけて飄々とした声。
そこはかとなく哀愁感があり、けれどそれはどこかじんわりと温かい。
同じシカゴのブルースの御大、マディ・ウォータースが重くどろどろとしたブルースで修行僧のように深い孤独と向き合ったのとは対照的に、ジミーのブルースにはある種のほんわかムード、いいかげんムードが漂っている。
このゆるさがいいんだな。
彼の歌うブルースは、冷たい風の吹くシカゴの街で、冷え切った人々の心をほっこりと温めたのではないだろうか。
コートの内側で握り締めた懐炉のようにホクホクと、どんなに冷たくでもこれさえあればというように、人々の心の支えになったのではないだろうか。
厳しさは人を裁き、人の心を頑なにする。けれど、ゆるさは人を赦し、人の心を開かせる。
ピリピリしているときにはついそのことを忘れがちになってしまうのだけれど、そんなときは結局どうあがいてもうまくはいかないばかりか、良かれと思ってやったことが結果余計に傷口を広げたり自分自身を追い込んでしまうようなことになってしまうことがほとんどだ。
何となくピリピリしているな、というときには、ジミー・リードを聴こう。
ゆるさは人を赦し、人の心を開かせる。
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骨捨愛童、ね(笑)。僕がジミー・リードを知ったのももちろんこの曲です。
もともとブルースは、ハードロックの流れからスティーヴィー・レイ・ボーンやらギターをたくさん弾く人たちから聴きはじめたのですが、気がつけばゆるゆるの方が性に合うようになってきました。
ふられブルースですが、ドロドロではなく、どことなくすけべな感じがするのもいいんですよね。