6月はどちらかといえば苦手だ。 なんとなく血の巡りが悪くてカラダがだるく、ぐずぐずと日々を過ごすことが多い。 気温は上がってくるけれどアドレナリンの上がる暑さでもなく、湿気だけは高くて蒸し蒸しと不快指数が上がる。暑いのかと思えば時にはいきなり冷え込んだり、どうも体調管理が難しい。 体調がいまいちだと気分も優れないからどうしても心も、お天気同様ぐずつきがちになる。 ぐずぐずとどっちつかずの中途半端な季節。夏への過渡期。それが6月。 それはあえて例れば、何もかも信じられるほどウブでもなく、自我に芽生えつつその果てしなさや欲望の質に戸惑い、夢こそ抱くものの自分自身でできることと思いのギャップが大きすぎることで憂鬱を抱え込むしかない、そんな若い日の頃のようだ、と思う。 自分の人生の大きさがなんとなく見えてくる中で、そのまま流されてゆくのか抵抗や反乱を試みるのかを迷いながら、まだもう少し判断を留保してしまいつつ、だからといって自分を磨いたり鍛えたりといったこともしないままだらだらと何の変化もない日々を過ごしてしまう半端さ、もどかしさ、もやもや感、なんとなく澱んだ感じ。 それは、色に例えれば、灰色に近い青、或いは、くすんだ深ミドリ色。 ほんのわずかに晴れ間を残したままぼそぼそと雨を降らせるだらだらとした薄曇りの空のねずみ色や、路肩のひび割れた古いアスファルトの、かつては確かに濃い青だったことを想像させる程度に剥げた青や、流れから外れた場所でループしている川の澱みに光が差したときのエメラルド・グリーン。 何かを言いたくて、だけど言葉にならないような色。 くすんではいるけれど、どこかキラキラした光をもった色。 6月の5枚は、そんなイメージで選んでみました。 The Doors/The Doors 生乾きの生温い匂いがするような、或いは乾いたかさぶたをペロッと剥がしたあとのヌルヌルした傷口のような。全体を覆うどろっとした雰囲気の中で、確かに光る、キラキラした何か。
Knife/Aztec Camera クールなカッティングのギターとシャープなリズムにのるロディ・フレームのちょっと頼りなさ気で物憂げな声。叶わなかった願いのように儚く。
Nine Objects of Desire/Suzanne Vega ミッチェル・フレームがプロデュースした、インダストリアルな残響音と、クールで知的なスザンヌの声のミスマッチ的ギャップが、この世界を覆う絶望の深さのように聴こえてくる。
The Fine Art of Surfacing/The Boomtown Rats “I don't like Mondays”に象徴されるなんともいえないのっぺりしただるさ。
美しいメロディ、なのにどこか奇妙に歪んでいる。
Quiet Kenny/Kenny Dorham “蓮の花”=6月、という単純な連想か。静かでリリカルなケニーの演奏は、どんな種類のジャズにも属さないまま、孤立無援の中で凛とした光を放っている。
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