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♪BORN TO RUN -My Vintage(107)-

Born to Run
Born to Run / Bruce Springsteen

Released:1975

ブルース・スプリングスティーンのパブリック・イメージと言えば今はもう揺るぎないザ・ボス的なマッチョな感じになってしまっているけれど、1975年、26歳のブルース・スプリングスティーンは、無精髭を生やしたやせっぽちの野良犬みたいな男だった。
うらぶれたいかがわしいストリートの片隅で飢えた眼をして、チャンスのかけらをつかむために牙を研ぎ澄ましているような、シャープでソリッドで、心の内の熱く燃えたぎる何かをこらえきれずにうずうずして今にも走り出そうとしているような。
まだあの「Born in the U.S.A」でボスと呼ばれるようになる前の時期にこのアルバムで、やせぎすの野良犬みたいなスプリングスティーンに出会えたことは今思えば幸運なことだった。
僕がこのアルバムでブルース・スプリングスティーンのことを知ったのは高校生の頃。
友人の部屋のラジカセから“Thunder Road ”が聞こえてきたときの衝撃は今もはっきりと覚えている。ハープからスロウに始まってぐいぐいとスピードを上げて転がっていくドラムとピアノの疾走感、軋むギター、マシンガンのように言葉を詰め込んでたたみかけるスプリングスティーン、そしてサックスの咆吼。
ここには、ロックンロールのすべてがあると思った。
抱えた闇の深さと追い求める光のまぶしさ。
今いる場所からありったけの力をふりしぼって飛び出していこうとするエネルギー、スピードと疾走感。
それは、モヤモヤと宙ぶらりんの毎日の中でクサクサしてばかりのしょーもない高校生の頭をぶっ飛ばし、ケツを蹴り上げるにはじゅうぶんだった。
まさに凍てついたような街路で叫び声を上げる“Tenth Avenue Freeze-Out”のタイトでソウルフルなリズム、サックスのうなりにあわせて走り始める“Night”、うちのめされてそれでも負けはしないと吠えまくる“Backstreets ”。どの曲も尻上がりにテンションがあふれんばかりにはちきれてヒートアップしていく感じに圧倒されていく。
そして“Born to Run”。
たたみかけるようなボ・ディドリー・ビートの“She's The One ”、ピアノとストリングスをバックにやるせなくもしみじみと聞かせる“Meeting Across The River”、そしてアスファルトとコンクリートのジャングルから遠吠えをあげる超大作の“Jungleland ”。
たった8曲なのに、それぞれが有機的に結びついて描き出されるひとつの情景。どこにも行き場のない男が、渾身の力で走り出そうとする情景。

このアルバムの制作にスプリングスティーンは実に1年半もの時間を費やしている。最初の8ヶ月で作品になったのは“Born to Run”の1曲のみで、プロデューサーを替えバンドのメンバーを入れ替え、編曲から曲順まで細部にまで魂を込めまくって作り上げたこのアルバムには、若き日のスプリングスティーンの鬼気迫るまでの情熱が乗り移っているようだ。
そこまで徹底的にスプリングスティーンがこだわりまくったのは、もちろん3作目の今度こそが自身の音楽を世に知らしめるラストチャンスに違いないと知っていたこと、そしてそれ以上に自身の中に響き渡っている音楽に確かな手応えを感じていたからだと思う。
それはどんな音楽だったか、そのヒントはスプリングスティーンが後にこのアルバムについて語ったこんな言葉にある。
「ボブ・ディランのような歌を、フィル・ スペクターのようなサウンドで、デュアン・ エディのようにギターを弾き、ロイ・オービソ ンのように歌いたかった。」
今、ロック・バンドと言えばほとんどがギター、ベース、ドラムの編成で、そのルーツを遡ればビートルズとストーンズ、その元をたどればそれぞれバディ・ホリーのクリケッツとマディ・ウォータース・バンドにたどり着くのだけれど、そもそもの50年代当初、ロックンロールの花形楽器だったのは実はピアノとサックスだった。
スプリングスティーンの頭の中にあったのはこれらピアノとサックスを中心に置いた50年代のロックンロールを、フィル・スペクターのような都会的で厚みのあるサウンドでコーティングし、そこにディランのようなメッセージをぶち込むことで、ビートルズやストーンズタイプのロックンロール・バンドとは違う骨格をもったロックンロールを構築することだったのではないか、と。
さらにそれらの曲を気合い一発ではなく緻密に組み上げていく工程はブライアン・ウィルソン的な手法を、一曲一曲を有機的に結びつけアルバム全体に物語性を持たせてひとつの世界観を表現する手法は60年代後半のコンセプト・アルバム的な手法を、と、そう考えればこのアルバムにはそれまでにロックンロールが培ってきた様々な財産を集大成的にすべて取り込もうとしたものだったということになる。
そういう意味でも、ここには、ロックンロールのすべてがあったのではないか、と。

一時期、僕はこのアルバムを敢えてあまり聴かないようにしていた。
最初の感動がすり減ってしまうのが怖かったからだ。
けれど、これらの曲たちは、初めて聴いたときから30年以上を経た今もあの頃と同じように僕を励まし、カツを入れ、奮い立たせてくれる。
人はどうせ死ぬまで孤独だという当たり前の無情感と、それでも走り出して駆け抜けるんだという勇気を同時に与えてくれる。
もちろん大人になった今では、たとえ走り出したところでたどり着く先はそう変わらないものだということも知っている。それでも走り出そうとするこのアルバムに込められたスプリングスティーンの意志の強さに、情熱の深さに、そして絶望の深さに、今もノックアウトされてしまうのだ。




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コメント

[C2494]

名盤さん、こんにちは。
30周年記念盤、持ってないんですが、かなり細部までこだわったレコーディングだったみたいですね。一般的に思われているステージでのタフでマッチョなイメージだけでは語れない、スプリングスティーンの奥深さです。
ほんま隅から隅まで全部かっこいいロックンロール・レコードだと思います。

[C2492]

このアルバムは僕のオールタイムベストな一枚です。
30周年記念盤に付いてた制作秘話的なDVD観ましたか?
確かクラレンス・クレモンズがこのレコーディングは楽しくなかったというシーンがあったのですが、これが印象的でした。
スプリングスティーンがパーフェクトなものを求めてレコーディングをコントロールしていたからのようです。
そんなところも感動的であったりします。
超名盤だと思ってます!

[C2490] Re: 伝説は新参者が作る

deacon_blueさん、こんにちは。
> ☆ スプリングスティーンがこの曲を引っ提げてロンドンに上陸したときのライブを見た。彼ですら未知の都会では(ここに書かれているような)やせっぽちの若い挑戦者だった。伝説は後からついてくるもので,その一瞬には

75年のハマースミス・オデオンでのライヴが後にCD、DVDで出ていましたが、ほんと駆け出しの挑戦者だった頃のスプリングスティーンは震えるくらいかっこいいです。

>彼らはただのニューカマー(新参者)でしかない。
もし自分の人生で得をしたなと思えることがあったとすれば,彼やRCや村上春樹がそういうニューカマーであった時代を共有できたことだったかもしれないと思う。

確かにね、村上春樹やRC、伝説が伝説になる過程を共有してきたという感じ、今思えば得難い経験だったですね。
  • 2015-02-21 14:32
  • goldenblue
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Author:golden blue
“日々の糧と回心の契機”のタイトルは、好きな作家の一人である池澤夏樹氏が、自身と本との関わりを語った著書『海図と航海日誌』の一節より。
“日々の糧”とは、なければ飢えてしまう精神の食糧とでもいうべきもの。“回心”とは、善なる方向へ心を向ける、とでもいうような意味。
自分にとって“日々の糧”であり“回心の契機”となった音楽を中心に、日々の雑多な気持ちを綴っていきたいと思います。

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