Ocean Rain / Echo & Bunnymen Released:1984
Silver Nocturnal Me Crystal Days The Yo Yo Man Thorn Of Crowns The Killing Moon Seven Seas My Kingdom Ocean Rain エコー&ザ・バニーメンの1984年の4枚目のアルバム『オーシャン・レイン』を、ずいぶん久しぶりに聴いた。
80年代のこの時期、いわゆるニューウェイヴと呼ばれたバンドがたくさんいたけれど、中でも彼らは、60年代のビートルズやキンクスの良質なメロディーに、ドアーズやヴェルヴェット・アンダーグラウンドの精神性や世界観、それにパンク~ニュー・ウェイヴ的な表現方法を融合し見事に結実させている気がして、近頃は滅多に聴くことが少なくなってはいるものの、これはやはりある時代と自分自身のある時期を象徴する一枚として捨て難い、と改めて思ったのだ。
このアルバムの印象は青。
それも透き通ったクリスタル・ブルーだ。
アコースティック・ギターと弦楽団を大胆に取り入れたこのアルバムの世界は、ジャケットの写真と同じように神秘的なまでの透明感を持ちつつも深みを湛えた響きがする。
誰も踏み行ったことのない洞窟の奥深くにある地底湖の水のように、透き通っていてなんの混じり気もなく澄んでいて、触れれば痛みを感じるくらい冷たい。
きみは血を流して死にかけている
きみは血を流して死にかけている
インカだったきみ
今はチェロキー
きゅ、きゅ、きゅ、きゅうり
キャ、キャ、キャ、キャベツ
カ、カ、カ、カリフラワー
火星に立った男
四月のにわか雨
僕は茨の冠をかぶるよ
そう決めたんだ
内側の外へ
前線への退却
登り斜面を下って
すべては回っていく回っていく回っていく
(
Thorn Of Crowns )
歌詞の意味などまるでわからない。そもそも意味などないのかもしれない。
けど、羅列された言葉と青い炎のようなマッカロクの声の向こうに、どこかで失ってきてしまったかもしれない野生やイノセンスのことを思わざるを得ないような感覚に陥れられてしまう。
こういうどろどろとした不可解さに惹かれる時期が僕にもあった。
けれど、このバンドの魅力はどろどろだけではない。
この曲のように暗澹として不穏な空虚感に満ちたような曲もいくつかあるけれど、どこか透明できらきらとしていて、アルバム全体の印象としては明るく、清々しさすら感じられるのだ。
どれでも好きな指で
落ち込んだ心をつっついてごらん
世界中を青色に塗りたくって
涙はもう止めて
原始人の歌が聞こえる
彼らがうれしい知らせを運んでくるよ
(
Seven Seas )
なんていうんだろうか、清らかな水で清められた感じというか、冷たい水で体の中に水脈が通ったような感じというか、そういった種類の清々しさ。
重い絶望感を背負って暗く深くもやのかかった洞窟を抜けたら、清らかな水を湛えた泉に出くわした、みたいな感じで救われたような気分になる。
そしてある種の救いのようなニュアンスを漂わせる最終曲。
すべては再び海へ
僕の嵐はこの海原に注ぐ雨になる
僕を再び産湯につからせるために
僕の船は航海へ
聞こえるかな
かすかに
波の下から聞こえる叫び声
(
Ocean Rain )
疲れの溜まりがちな蒸し暑い夏には、こういう清らかさ、清々しさにとても癒される気がする。
普段は見失いかけているものをふっと思い出させてもくれる。
あ、そう言えば今、思い出した。
このアルバムが出た後のツアーでの来日公演を見に行ったことがある。大阪厚生年金ホールだったかな。
会場に着いたら、やたらと黒い帽子を被った黒ずくめの少女ばっかりでちょっとびびってしまった記憶がある。
ライヴそのものは彼ららしく幻想的な演奏が淡々と続く美しいものだったけれど、それ以上に黒ずくめの少女たちの印象が残った。80年代前半、例えばジャパンを筆頭に、端正なルックスで耽美的な演奏をするバンドがいくつか音楽雑誌を賑わしていてアイドル的な人気があったから、その流れで女の子のファンが多かったんだな。
あの時の黒ずくめの少女たちは、今どこで何をしているのだろう。
彼女たちの心の洞窟の奥深くの泉のどこかに、今も清らかな水が流れているといいな。
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トラックバック
ここにいらっしゃいましたか、元黒づくめ女子さん!
みんなそんな感じで普段は仕事したりお母さんしたりしつつ、心の泉は涸れてなければいいですね。
> 黒の長いコート着て、前髪をディップで立てたり、帽子を被ったり
そうでした。みんな長いコートで帽子被ってました。
バウハウスやキュアー、スージー&ザ・バンシーズ、とかもカリスマ的な人気がありましたが、ジュリアン・コープは当時は知らなかったです。