New World Order / Curtis Mayfield Released:1996
特定秘密保護法案が多くの市民参加のデモを無視して衆参両院を通過する過程の中で、政権与党の傲慢な振る舞いやそれにすり寄る中小野党の振る舞いよりも怖いなと思ったことがある。
それは、いわゆる国粋主義的な考え方の一般市民。
Facebookで学生時代にまぁまぁ仲の良かったYという男がシェアしていたリンクを見てギョッとした。
原文のまま書くことはできないが、彼らにとって秘密保護法案に反対する市民は「左翼に洗脳された売国奴」で、「左翼的なマスコミを鵜呑みにする馬鹿」なんだそうだ。
彼らの論法は「自分の家に泥棒が入ろうとしているのに鍵をかけないのか?コンピューターのウィルスに対してガードをしないのか?普通に考えれば誰でもそうする。なのに、この法案に反対するのはよっぽど頭の中がお花畑だ。」というもの。
こういう、意見の違う人の考えの本質を理解しようとしないまま、相手の意見を矮小化して誹謗したり極端な例えで否定する輩が大嫌いだ。小学生のケンカでよくある「○○君がやれって言うたらやった?そしたらおまえ、○○君が死ねって言うたら死ぬんかっ?」っていうようなレベルの幼稚な議論。虫酸が走る。
こんな意見に賛同するYを、残念ながら僕は友だちとは思えなくなってしまった。
僕は右翼でも左翼でもない。できればそういうイデオロギー的なものからは遠い場所にいたいと思っている普通の一般市民だ。
そして、デモに駆けつけた人々の多くは、組織に動員されたのではなく、普通に生活する一人の人間として駆けつけたのではないかと思う。というか、米ソ冷戦が終わってすでに20年以上経った今の世で右翼左翼なんて分類そのものがナンセンスだと思う。
彼らは、自分たちが賛成した法令によって自分たちも当事者になってしまう場合があるとは考えないのだろうか?自分は国家に従順だから守ってもらえると思っているのだろうか。憲法改正然り、原発然り。
何の根拠もないけれど、こういうタイプの人たちが、例えば戦時中、少しでも国に批判的な意見に対して「非国民」と吊し上げ、市民同士で監視する社会を作り、多様な考え方を封じ込めた。でも彼らは忘れてしまっている。非国民だと言った人間も言われた人間も、同じように夫や子供を戦争にとられ、空襲で焼き出され、原爆で灰にされたのだということを。
前置きがずいぶんと長くなった。
今日取り上げたいのはカーティス・メイフィールドの『ニュー・ワールド・オーダー』。
カーティス・メイフィールドはインプレッションズの時代から一貫して、黒人としての誇りを歌い続けてきた人。いわば自由のために闘う闘士。
1950年代半ば、産業の革新で飛躍的に豊かになっていったアメリカの裏側で、黒人たちは(いい言葉ではないが敢えて使います)低賃金の労働力としてこき使われるばかりでその経済発展の恩恵に与れないまま、差別的な扱いを固定化され民族としての誇りすら奪われていた。
いい加減にしろ!もうこれ以上我慢できない!と勇気を持って立ち上がった人たちの声はやがて大きなうねりになり、自由民権運動が広がる中で黒人たちは黒人としての誇りを取り戻した。
しかし、幾ばくかの改善こそはあったものの根本的な収奪構造は変わらないまま 1960年代後半から70年代初頭にかけて 運動は尻すぼみになり、多くの人は闘いをあきらめ、一部の人たちはより過激に戦闘的になっていった。
おおざっぱだけれどこれが黒人解放の大きな流れで、そんな中で音楽が果たした役割は非常に大きく、カーティス・メイフィールドは底辺の生活の景色を歌い、抵抗と連帯を歌い、黒人としての誇りを歌い、一方で貧しさ故に犯罪に走る愚かな同胞を諭し続けてきた。
“俺たちは憂鬱よりも暗い色をした人間
この街でじっと息を潜めて
このまま奴らに従って言いなりになってしまうのだろうか”
(
We the People Who Are Darker Than Blue )
“茶碗は半分空っぽで 俺たちはじきに死ぬ
希望はまるでない 満足させることすらできない
黄金を秘めた雄大な山も
奴らが富を握っていてどうすることもできない
あぁ、コンチクショウめ!”
(
Got Dang Song )
カーティスの美しいファルセット・ヴォイスと、ワウワウのかかったギターやストリングスとパーカッションを多用した独特のアレンジで演奏される音楽は、美しくも力強い。
例えそれが嘆きを歌っていたとしても、どこかにあきらめない力強さを秘めている。
どんなに打ちのめされようとブレないしたたかさを持っている。
そして、力で迫ってくる相手に対して力でやり返すのではなく、聴き手の内側を刺激して共振させるようなヴァイブレーションで対抗する。
告発や問題意識をことさら矮小化して相手を一方的に攻撃するようなやり方ではなく、真っ当な主張を真っ正面から逃げも隠れもせず堂々とぶつけていくような潔さ。
戦っている相手も同じ人間だからこそ、同じ人間として認め合って対等に論議しようじゃないかというような誠意。
そういう方法以外に本当の意味での問題解決はないという覚悟。
この『ニュー・ワールド・オーダー』は残念ながらカーティス・メイフィールドの遺作となってしまったアルバム。
91年に野外で行われたコンサートで、突風によって倒れたやぐらの照明が直撃し、脊髄損傷の重傷を負ったカーティスが、病床で横になりながら、ロジャー・トラウトマンやアレサ・フランクリン、メイヴィス・ステイプルズといった仲間たちの力を借りて振り絞るように録音した作品だ。
一時は回復の兆しを見せたもののカーティスは99年にこの世を去ってしまった。
最後の力を振り絞りながらカーティスが伝えたかったのはやはり平和と平等への願いと、そのことを実現するためにこそ愛が必要だというメッセージだった。
“高揚することもあれば落ち込むときもある
まるで入り口はあるのに出口はないみたいだ
だけど我々はお互いのことをもっとよく知るべきだ
互いに憎み合うのではなく 世界中に愛を広げよう”
(
Ms. Martha )
“嘘や間違った予言に気をつけろ
俺たちには状況が見えているけれど
みんながちゃんと見えているわけではない
同じことを成し遂げたいのならば情け深くならなくては
勝つことが目的ではない 必要なのは握手して友達になること”
(
New World Order )
“試練の時があっても決して忘れないでおこう
まだ闘いに負けたわけではない
はるかに多くの仕事をしなければならないけれど
俺たちはみんな打ち勝つことが出来るんだ
古い賛美歌で歌われているように”
(
Let's Not Forget )
“混乱の中で 誰もが探しているのに見つからない解決策
答えを求めて自分の内側を覗き込む でもわからない
みんなで分かち合うこと 思いやることにもっと努力を
太陽が昇ればきっと見つかるはずの愛
だって愛こそが唯一の方法なのだから”
(
Just a Little Bit of Love )
今いる場所から、今の状況を理解することから、聴き手の心に揺さぶりをかけることで理想への橋をひとつずつ架けていく。
まわりくどくても結局のところはそれ以外に方法はないはずなのだ。
そんなお花畑な考え方をY君はどう思うのだろうか?
“ポジティブな何かがまだココロにあるのなら
いつだってそのときが素晴らしいチャンスの時
君を引きずり降ろそうとする奴はいるけれど
また立ち上がって自分の場所を守るんだ”
(
Back to Living Again )
“想像してみよう
他者との紛争を解決するために
世界中の人々が均衡を見いだすことにチャレンジすることができたら
見つけよう
私たちの生きるこの人生は 美しいものなのだから”
(
Oh So Beautiful )
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橋本氏や石原氏のときにも感じたけれど、ああいう強気な思想って思っている以上に人気があるんですよね。
なぜそうなのかをはっきり語ってくれれば理解もできるのかもしれないけれど、どうもなぜそうなのか、例えばなぜ武力行使ができる国にしたいのか、がいまひと理解できないのです。
もちろん極端な理屈で何でもかんでも反対する人たちもそれはそれで好きじゃない。
相手を中傷することが目的の、批判のための批判にはうんざり。それは右も左もおんなじです。