STICK OUT / ザ・ブルーハーツ Released:1993
1980年代後半はバブル景気真っ盛り。
世の中はすべて快適であることが優先され、軽さと明るさ、快適さとおしゃれさが絶対的な価値観で、真面目な思いや悶々とした悩み事はくさい、ダサいと嘲笑されてしまう時代の空気だった。
ただでさえうじうじした悩み事の多い思春期をそんな時代で育ってしまった僕たちの世代には、いまだにどこか赤裸々な気持ちを明かすことに対する後ろめたさがこびりついている。
当然のように音楽は時代を反映するものだから、この頃流行していたものはおしゃれで明るくて軽いものばかり。おニャン子クラブをはじめとするアイドル歌謡曲と、ユーロビートと言われたディスコ・ミュージックばかりが街に流れていた。
そんな時代にドカッと大きな穴を開けたのがブルーハーツだったのだ。
♪気ィがぁーくーるーいーそうー
有線から「人にやさしく」が流れて来たときの衝撃といえばもう、ものすごかった。
最初はふざけているんだと思ったんだ。
今でこそ赤裸々な思いを歌うことはアリだしもはや王道だけど、今までの誰も、あんなふうな言葉をあんなふうな歌い方で歌ったことはなかったもの。
そして発売されたファースト・アルバムには、真っ直ぐな言葉があふれんばかりに、清々しいほどストレートな音に乗せてたたみかけられていた。
軽薄な時代からつまはじきにされていたフォークのような歌詞で、同じく時代からつまはじきにされていたパンクを演る。マイナスとマイナスを掛け合わせて生み出される衝撃的な音楽。
それは革命的な出来事だった。
彼らの音楽は時代の分水嶺になった。
けれど、ブルーハーツがすごいのはそこじゃない。
本当にすごいのはその先。
“Train-Train”が大ヒットして一躍時代の寵児となったあと、いわゆるバンド・ブームとも相まって青春パンク的なフォロワーが続出。ブルーハーツは一気にパンク界の親玉的存在になった。
その地位に安住して固定のファンを相手に彼らが求める同じ路線をずっと演り続けていくこともできたのに、ブルーハーツはそれをあえて捨てたのだ。
6枚目にあたるこのアルバムに収められているのは、まるでアマチュア・バンドみたいなシンプルで直球勝負のパンク・ナンバーばっかり。
それは、踊らされて祭りあげられ粛々と過去の縮小再生産に陥ることをよしとせず、ファンや業界が何て言おうと何を求めていようと、俺らは俺らの好きに演らせてもらう、という宣言だったのだと思う。
このアルバムで従来のファンが求めるいわゆる青春パンク的な曲は
夢 くらいで、いきなり「卸したての戦車でぶっ飛ばしてみたい」と始まる
すてごま をはじめとして、「プルトニウムの風に吹かれていこう」と歌う
旅人 や「死んだらそれでサヨウナラ/勲章のひとつでも貰えるかもよ」と歌う
やるか逃げるか など、原発のことや自衛権のことをテーマにした曲が多いのがこのアルバムの特徴のひとつ。これは決して政治的なことに主張をするのがロック、ということではなく、そのときに感じたことをそのまんま歌にするんだという意志、曲なんてそうやって瞬間に生まれて瞬間で消えていくもんだ、という意志の表明なのだと思う。
ブルーハーツ=ポジティブという思い込みも世間一般ではあるけれどそんなことはなく、シュールで毒も撒き散らかす。
期待はずれの人 や
44口径 、
うそつき なんかはそういう系統。ヒットした
台風 だって、中身はけっこうシュール。
マーシー節炸裂のヘヴィーな
俺は俺の死を死にたい 、河口純之介の宗教観の違いからブルーハーツ解散の入り口になったと言われる
インスピレーション も個人的にはけっこう好き。
そしてこのアルバムが大好きな大きな理由でもあるラスト2曲の大名曲、
月の爆撃機 と
1000のバイオリン 。
僕は今コクピットの中にいて
白い月の真ん中の黒い影
のフレーズのところではいつも泣きそうになる。
そして続くフレーズ、
いつでも真っ直ぐ歩けるか?
湖にドボンかも知れないぜ
誰かに相談してみても
僕らのゆく道は変わらない
ふらふらしてんな、自分、と思うとき、この曲が首根っこにナイフを突きつけてくる。
まぁいいんだ。
生きてりゃそれでじゅうぶんもうけもの。
おもしろいことをたくさんしたいよね。
台無しにした昨日は帳消しにして。
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「月の爆撃機」と「1000のバイオリン」、これは最強チューンですね。同時に出たDUG OUTもいいんですが、やっぱりこれですね。
スコンと振り切った潔さがかっこいい。
その時代の瞬間を切り取った歌なのに20年たってよりリアルに響きます。