台風が迫る雨の週末、広島県のぶどう農家へ視察に行ってきました。 ぶどう作りにはとても手間がかかる。 棚をこしらえ、木の手入れをし、葉を整え、実を剪定し、袋を掛けて鳥や虫から実を守る。 その一つ一つが手仕事なのだ。 ひとつひとつ手をかけて育てていく、というのは、ただ話で聞けばそれはそうなんだろう、と思うのだけれど、実際棚にぶら下がった膨大な数のぶどうの実を前にすると、想像するだけで気が遠くなるような気がしました。 知らなかったのですが、大粒のぶどうって、自然に大粒になる品種があるわけではないのですね。 ぶどうの粒はそのままだとどんどんあとからあとから生えてきて、隣り合う粒同士が押し合ってぎゅうぎゅう詰めになって、大きいのやら小さいのやら歪んで押しつぶされたのやらができてしまうそうです。 そこで、生えてきた粒を落として、ひとつの粒の周りにスペースを作る。そうしてやるとその粒はじゃまされずに大粒に育つのだそうです。 生産者の方は、そんな説明をしている間にも、そういう粒を見つけてはポッケからはさみを取り出してチョキチョキと内側から生えてきたぶどうを切り落としていく。 その姿は、職人としてのこだわりを感じるとともに、ちょっとユーモラスでさえあって。 「おいしいぶどうを作るコツってなんですか?」 僕が尋ねると、生産者の方はこうおっしゃいました。 「やっぱり、しっかり剪定をすることですね。葉っぱからの栄養をひとつの実に集中させることで、しっかりと実に栄養が行き届く。放っておいたらたくさんの実はなるけれど、おいしくない。いろいろと手間はかかるけれど、ちゃんといいものを作らないと、この産地はダメ、ということになってしまっては私ら生活していけませんからね。」 その表情には必死さや仕方なさはなく、そんなこと当たり前的なやわらかさがあったのがとても印象的でした。 果物というのは決してお安いものではないだけに、食べ物の中でもとくにおいしさが大切。 果物を買うのと同じ価格で野菜やお肉をたくさん買う事ができるわけで、ただお腹を満たすためだけならば果物は買わないのだ。 それでも果物が求められるのは、すなわち果物がもたらしてくれる幸せ感を味わうため。 だからこそ、果物はおいしくなければいけない。 それが消費者側の理屈。 作る側からすれば、果物は生き物だから、その時々の天候に大きく左右される。いいものができないこともある。膨大な手間やコストに対して果たして見合うだけの収入が得られるのか、ということもある。 けれどそのことを言い訳にせずに、誠実に愚直に手間を惜しまずに、相手に喜ばれ支持されることが結局は自分のためになる、と腹を据えて努力される人たちだけが生き残ることができるのだろうな。 それは、何に置き換えても同じことなのだろうけれど。 ■ ぶどう畑にいるときに僕の耳の中でかすかに鳴っていたのは、スライド・ギターの音でした。 大らかでのどかで、ほんの少し哀しくて、ほんの少し滑稽で。 誰だったっけ、このゆるい音色。 あぁ、そうだ。ライ・クーダーだ。 Paradise and Lunch / Ry Cooder ライ・クーダー、1974年発表の4枚目。
僕はそんなにライ・クーダーを聴きこんでいるわけではないけれど、このアルバムはいいよね。
土のにおい、木の葉のにおい、やわらかいお日様のにおいがする。
派手に何かやらかすわけではないけれど、地味だけど日々を生きている暮らしのにおいがする。
大らかでのどかで、ほんの少し哀しくて、ほんの少し滑稽で。
Ry Cooder - Fool For A Cigarette/ Feelin' Good Ry Cooder - Ditty Wah Ditty/ If Walls Could Talk
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そう、果物は「誰かが喜ぶ」ことを思い浮かべて買うんですよね。だからこそ、おいしくないとダメなんです。期待を裏切っちゃダメ。
そのための努力を惜しまない生産者は応援しなくちゃ、と改めて思いましたよ。
7月の塚本は、なんとか都合つけて、ちょこっとでも顔出せるようにしますねー!