その日、帰宅すると、妻がお腹を抱えて苦しんでいた。 「あいたたたたた・・・」 「どうしたんや。」 「実はさっきな、小腹が空いてたんで、冷蔵庫にあった豆腐食べてん。冷や奴で。茗荷をのせて。」 「傷んでた?」 「いや、おいしかった。でな、茗荷の逆襲におうてんねん。」 「はぁ。・・・。」 妻は胃腸がデリケートで、時々腹痛を起こす。特に空腹時にアクが強いものを食べるのがだめらしい。 「まぁ、しゃあないねん。だいたい茗荷って、あれ、食べてる部分、どこ?つぼみやんなぁ。茗荷からしたら、まさかつぼみを人間が食べるとは思いもせんやろうから。」 「ハハハ、まぁ、確かにそうやわな。果物がおいしいのは、樹木が鳥に種を遠くまで運んでもらうためにわざわざ甘くして“食べ頃ですよー、おいしくしたから食べてねー。”って言っている訳やからね。その代わり未熟果は食べられないように毒を出している。だからニガい。まして果実以外の部分は、食べられる前提にないわな。」 「私、ピーマンもあかんやん。あれも未熟果やもんね。赤ピーマンはだいじょうぶなんやけど。」 「ピーマンからしたら、ちゃんと完熟して種が育つ状態になってから食べてほしいやろなぁ。まさか人間が、未熟果の歯ごたえとか苦さが気に入るとは思ってなかったやろね。想定外やわ。」 「そら、ピーマン界は大変なことになってるよ。まだ嫁に出すつもりのない小娘ばっかりさらわれていくわけやろ。変態やで、ピーマンからしたら。」 「子どもがピーマン嫌いなのも当たり前のことなんやろね。生き物の防衛本能として、こんな苦いもの食べたらやばい、まだ食べたらあかんわってことやろね。」 「犬が臭いかいでプイッってするのといっしょか。」 「しかし、人間は変なもん食うよな。ナマコ初めて食べたのは誰や、とかよく話題になるけど、動物ならまだタンパク源として食う気にもなる気がするんよね。ハチノコとか昆虫食もまあ発想としてはわかる。でも茗荷はつぼみやもんなぁ。たまたま食べてみて、いけると思ったんやろか。」 「うーん、しかしたまたまでも食べてみるかぁ?つぼみを。」 「多分やけどね、猿の時代からの風習やと思うわ。猿は樹上生活で木の実や若芽を食べるやろ。植物は食べられると困るから毒を持つ、すると猿は、別のものを食べて毒消しをするんやね。そうやって雑食になる過程で、猿の遺伝子には、とにかく周りにあるものは食べられるかどうか、何でもちょこっとひとくちつまんでみるような習性が盛り込まれたわけよ。」 「大きな話になってきたな。赤ん坊が何でも一旦口にもの入れるのは猿の名残か。」 「雑食化することで猿は気象の異変などで食べものが一気に減っても絶滅しなかった。」 「パンダやコアラが絶滅寸前なのは、一種類のエサしか食べへんからやねんな。」 「そういうこと。そして、いろんな種類のものを食べられるということで住める環境が飛躍的に広がったことが、やがて木から降りてサバンナで暮らす一族を生み、彼らが人類に進化していった、と。」 「なるほどねー。」 「そう考えたら、その腹痛は猿の頃から延々と続く、人類の歴史的な背景を背負った痛みやということやね。」 「で、あんたが理屈っぽいのにも、猿の頃からの歴史的な原因はあるんやろか。」 「それは知らん、、、。」 ある日のくだらない夫婦の会話でした。 くだらないけど素朴にためになるのがこの本。 おもしろくても理科 / 清水 義範、西原 理恵子 理科・科学が苦手でわけわかんねーよー、って思っている人に向けて、理科的な様々な事象をわかりやすく解説したこの本、本当に理科が苦手な人にとってはどうなんだかわからないけれど、ちょっと興味ある程度の僕のような人にとってはとても楽しめる。
慣性の法則だとか、脳や神経の伝達のこと、食中毒や細菌のこと、地球の歴史や生物の絶滅のこと、それらをおもしろおかしく回りくどくもわかりやすく説明してくれる。
清水義範さんのことは、失礼ながらそんなにおもしろいと思ったことはないんですよね。
わかりやすいけど平べったい、深みがなくちょっとあざとい。
ところが、そこにサイバラさんがからむと、俄然面白くなるわけです。
怖いもの知らずで大胆不敵、でも実は物事の本質をちゃんとつかんでる。知識ではなく、経験と勘で自分のフィールドにもってきちゃうツッコミは最強。サイバラさんなくしてこの本の面白さはありえない。
一見水と油みたいな関係が最強のパートナーになるのは、お互いに認め合っているからこそ、お互いの不足しているところを補いあえるということなのかな。
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サイバラさんはすごいですよ。
毎週日曜日の新聞の「毎日かあさん」を楽しみにしています。
親はいいかげんなくらいがちょうどいいようですね。