「さびしいけど、なんとかやっています。」 父の死後、実家でひとりで暮らす母から届いたメール。 携帯電話すら持たないひとだったのだけれど、さすがに高齢者の一人住まい、連絡手段がないと心配だと持たせることにした。 葬儀の前後はずっと気丈に振る舞っていたけれど、そうか、やっぱりさびしいのか。 そんな言葉を聞くのは、きっと初めてのような気がする。 忙しさにかまけてほったらかしでごめん。 いつもは母が二階、父は一階で眠っていたのだそうですが、 「二階でひとりで眠っていると今もお父さんが一階で眠っているような気がするのよ。」 いないことがわかるとものすごく不安な気持ちになる、と。 そういうものなんだろうな。 父や母という存在は子どもにとってはいつまでたっても特別な存在で、なかなかひとりの人として見ることができないのだけれど、母というひとりの女性にとって父というひとりの男性の存在は、人生の中で切っても切ることのできないひと、自分の存在のための大きなピースのひとつ。そりゃ50年以上も一緒に過ごしてきたんだもの。 当たり前のことだけど、僕の知っている父とは違う父の姿を母は知っている。 若い日の、出会いの頃や恋に落ちた頃のこと、それから愛しあったお互いの肌のぬくもり。 そういう存在がこの世からいなくなってしまうということは、本当にさみしいことなんだろうな。 誰も代わってあげることなどできない、本人だけがかみしめるさみしさ。 戦中に田舎の末娘として生まれ、大阪へ出てきて父と結婚し、3人の息子を育てたこの人の人生、いろんなことがあったのだろうな。僕たちが知っている子どもから見た母親という立場以上に、ひとりの女性として。 そんなことをしみじみ思いました。 まぁそんなことがあって週末は実家に帰りました。 母とふたりで過ごす夜、四十九日にむけての準備の手伝いをいくつか。 あとはたわいもない話。 「牛乳が週に1本では足りないけど2本注文すると余るのよ。」とか、「洗濯ものが途端に減って毎日洗濯するのが面倒になってきた。」とか。 僕が子供の頃の話のいくつかは、3人の息子のエピソードが記憶の中でごっちゃになっていたり。 特別な会話を交わすわけではないのだけれど、そのなにげなさがきっと大切なのだろうと思う。 家族について、人が生きることについて、いろいろと考えさせられることの多いこの冬です。 Dance With My Father / Luther Vandross 少年の頃の記憶をたどる
まだ無垢さを失っていなかった頃のこと
父は僕を高く抱き上げて
僕が眠るまで母と一緒に踊った
それから二階へ僕を運び上げた
僕は愛されていた
確かに知っていた
もしチャンスがあるのならば
もう一度踊りたい
終わらない歌を演奏し続けて
どれくらい好きだったのか伝えたい
父と踊ることが
僕が母親と喧嘩した時には
いつか僕が旅立っていくことを諭してくれた父
僕を慰めるように笑わせてくれ
最後には母親の意見に従うことにした
僕が眠った後
シーツの下に幾許かのお金を置いてくれた父
父が去っていく日が来るなんて
夢にも思いはしなかった
最後の謁見を許されるならば
最後にもう一度踊りたい
終わらない歌を演奏し続けて
どれくらい好きだったのか伝えたい
父と踊ることが
時々聞こえてくる
母の泣く声
僕は僕のため以上に母のために祈る
僕は僕のため以上に母のために祈る
祈り過ぎかも知れないけれど
母が愛したたった一人の男を返してくださるのならば
どんなことだってできる
あぁ神様
彼女は父ともう一度踊りたがっています
僕は眠るとき
いつもこんな夢を見るのです
(
Dance with My Father )
今は亡きルーサー・ヴァンドロスの“ダンス・ウィズ・マイ・ファーザー”。
優しい歌声がしみる。
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亡くなってからの方が存在が大きくなる、母も僕も兄弟も今そのことをとても実感しているという気がします。
男3人なのでなかなか実家に寄りつかず愛想なしで母には寂しい思いをさせているんだなぁ、と反省中。
父の時は泣かなかったけど、母が逝くときはきっと号泣しそう。
父の面影をときどきは見せに行かなくては、と思っています。