月と菓子パン / 石田 千 どこか懐かしい香りのするゆるーいエッセイ。
東京行きの新幹線で、それから時間潰しの喫茶店で、のんびりとくつろぎながら読んだ。
本っていうのは、家でゴロゴロしながら読むのも楽しいけれど、ふらりとあまり宛てのない出先で読むほうが楽しいときもある。
このひとのゆるーい散文はまさにそんな感じ。
何気ない話題から入ってとりとめがないのにとても自然な話題の流れにトコトコとついて行くと、やはりとりとめもなくさしたる結論もないまま話は終わる。でもなんだかほわっとした気分がぽかっと残る。
石田千さん。そう歳も変わらない同世代のひとなのに妙に昭和の残り香のような懐かしい上品さを感じるのは、東京の下町で、東北育ちのご両親に素朴に大らかに育てられたおかげだろうか。
まわりにはどことなく慌ただしい空気がせかせかと流れていて、BGMやらチャイムやら人の話し声やらクラクションやらといろんな音が流れていても、はらりと本を開けば、まるで古い映画のように懐かしくてゆるくて静かな世界があって、すぽんと異次元空間に放り込まれたみたいに穏やかな世界が広がる。世間の騒がしさなどまるで別の世界がそこにたち現れる。
こういうのってなんだかいいな。
ちょっと音楽を聴くのにも似ている。
世の中にはときどき「本を読め本を読め」とやたらと読書をおしすすめてくる人種の人たちがいて、そういう輩がどんな本をおしつけてくるかというとたいていはHow to本の類。「一週間で魅力的なスピーチが身につく方法」だの「あなたの売り方は間違っている!これが商売の新常識」だの、そーゆー奴ね。
実際ビジネス街の本屋の棚はそういう本で埋め尽くされているし、ベストセラーになっているものも多い。でも、そんな本を読んだお陰で売り上げが上がった、実績が上がった、人からの評価が変わった、なんて話はトンと聞かない(笑)。
結局そういう人は、How to本に手を出す、頼ろうとする時点ですでに心が負けているんだと思う。
へぇー、ふーん、すごーいって感心こそすれ結局自分じゃ何にもやらないんだもの。ありがたいお念仏と一緒で、いざというときには何の役にも立たない。そんなもの。
僕はあれを読書とは呼びたくない。
話がそれたけれど、僕にとっての良い読書とはこの石田千さんの本みたいにふわっと異世界へいざなってくれるような種類のもの。
何気ない暮らしの中で、ふと心にさざ波を起こした小さな光景や小さな感情を、簡潔な文体で淡いスケッチのように描いた文章。
教訓めかずおしつけがましくないのがいい。
読んで何か新しい知識やノウハウを得るわけではないけれど、そんなもの得なくても一向に構わない。
ふわっと日常生活の外に連れて行ってくれる素敵な時間、それがとても愛おしい。
同じ時間を過ごすのならば、こういう本を読むほうが何倍も豊かな気分が味わえる。
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まったくあの手の本には辟易します。自分探し系のものも同じく。売れているんでしょうし、ああいう本が出発業界を支えているんでしょうが(笑)、いくら勧められてもそういうものを「読まない権利」はあると思っています。
何の役にも立たないような午後のお茶みたいな読書がしたいですよね。