で、それからなんだかんだと20数年。 半年ほど前に、たまたま図書館にあった『ロング・ラン』をなんとなく借りてきたのね。今ならあんまりこだわりもなく聴けるんじゃないかと。 1曲目、“ Long Run ”、おーっ、この曲ってまんまオーティス・クレイのあの曲のリズムそのまんまだったのだなー、とか、当時甘っちょろいAORだと思っていた“ I Can't Tell You Why ”の甘いメロディー&ティモシー・B・シュミットのスイート・ヴォイスがけっこういけるやん、とか、“Heartache Tonight ”はもろグレン・フライ好みのソウル・テイストだったんだな、とか、当時からなんじゃこのハンパな曲は?と思っていた“グリークス・・・”はやっぱりどうってことない曲やなー、などと思いながら、最後に“Sad Cafe ”が流れてきたとき、不覚にも涙がでそうになってしまった。 そして歌詞をもう一度読み返してみて、えっ、そうだったのかと愕然とした。
Author:golden blue
“日々の糧と回心の契機”のタイトルは、好きな作家の一人である池澤夏樹氏が、自身と本との関わりを語った著書『海図と航海日誌』の一節より。 “日々の糧”とは、なければ飢えてしまう精神の食糧とでもいうべきもの。“回心”とは、善なる方向へ心を向ける、とでもいうような意味。 自分にとって“日々の糧”であり“回心の契機”となった音楽を中心に、日々の雑多な気持ちを綴っていきたいと思います。
ほんと残念ながらそうですよね。
年寄りからはまだまだだ、なってない、我々の時代に比べたら恵まれていると甘ちゃん扱いされつつしんどいことは押し付けられ、若者からは僕らが否定したいおっさんおばはんと一緒くたにされて蔑まれつつやっぱりめんどくさいことは押し付けられ、ほんまなんなんだかなー、可哀想だぜ40代、って気分です。