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◇セ・シ・ボン

セ・シ・ボン
セ・シ・ボン / 平 安寿子


パリ、と聞くだけでなんだか自分にはとても縁のない街のような気がする。
ファッションの都、小粋なブティックやフレンチレストランやおしゃれなカフェがあって、ワインや美術や芸術の薀蓄を傾ける人がたくさんいて、パリへ行ってきたというだけでとてもおしゃれなことのような錯覚を起こさせるような街。そういうのはどちらかといえば苦手だし、そんなに興味もない。
なのに少しさわりを読んで、「これはおもしろそう!」と手にとってしまったのがこの「セ・シ・ボン」。
1979年のパリが舞台の日本人の留学物語で、作家・平安寿子さんの実体験に基づくものだそうだ。

この物語の主人公のタイコは26歳。コピーライターになりたくて広告会社に就職するも無能さに気付かされて退職、地味にOLをやってみたが二年で飽きた。結婚願望はまるでない。

『実際、そのときのわたしは生き迷っていた。
したいことがない。できそうなことも、ない。でも、フランス語はちょっとだけ、できた。パリで三ヶ月勉強するくらいの貯金もあった。それに、パリで暮らすなんて、かっこいいじゃない。友達に言ったら「わー、すごい。」と感心してもらえる。
何か意味がありそうに思えることをするわたし。それが、わたしが見たい、そして人にも見せたい自分の姿だった。』

そして実際に彼女がパリで過ごした3ヶ月というものは、パリ留学という言葉が喚起する華やかさとはほど遠い生活だった。「パリに留学しているのよ」というはしゃいだ気分は二週間で消える。
描かれているのは、観光客など絶対に来ないうらぶれたパリ十九区での、ホスト・ファミリーやクラスメイトとの間で起きる日々のいろいろ。「めぐりあい」を期待していた下宿メイトのイギリス人は頭の剥げたおかまのおっさん。クラスでは、スイス人やアメリカ人やノルウェー人やスペイン人のクラスメイトたちがそれぞれにそれぞれの振る舞い方でタイコの心に何かしらのスクラッチのようなものを残してゆく。留学の3ヶ月の間、ドラマめいたこともロマンスめいたことも起きるわけではない。
たわいもない日々の出来事が、行き場のないなんだかなぁ感とともにおもしろおかしく描かれてゆくのです。
けれど、そんな行き場のない26歳のなんだかなぁ感にはげしく共感してしまったのは、僕も多かれ少なかれこんな感じだったのに違いない、ということを思い出したからだと思う。
何にも出来ないくせに見栄とプライドだけで「こんなしょーもない会社、お先に失礼しますよっ!」なんて粋がって飛び出していったもうひとりの自分がここに描かれているような気がしたのです。
人生なんてそんな小説や映画みたいにドラマチックじゃない。
世界中のどこへ行っても人間のやることなんてそうそう変わりなくて、他人が見たらなんだかばかげたことに一喜一憂したり執着したりしながら過ごしている。そんなもんだ。そんなもんなのだ。
そんなことを悔しいくらいに噛みしめていた26歳。
馬鹿でした。でも、それが自分。良くも悪くも、肯定する以外に方法はない。


そして、この物語がもっと素敵なのはその後日談。

主人公のタイコ、つまり平安寿子さん本人は、この26歳の時にわずか3ヶ月留学したパリのことを、その後ほとんど誰にも話していなかったのだそうだ。
『隠さなければならない事件があったわけではない。むしろ、何も起こらなかったことを恥じたのだ。』と。
そうしてやがてフリーのライターになり、小説家になり、30年近くの後にこのエッセイをまとめるにあたってパリを再訪する。そのときの言葉が素敵なのだ。

『なんにもならなかった、なんにもできなかったと涙にくれたパリの日々が、今のわたしの足元を支える土台になっている。想い出とは、そういうものだ。想い出こそ、わたしなのだ。五十を過ぎて、それがわかった。』

その感覚はまだよくわからないけれど、いつかそう思えるようになるのかもね、という予感がする。
その時々では、ムカついたりイラついたりどうしてこんなことを!なんて思ったりしていることも含めて、いいことばかりではないけれど、たまにほろっとしたり、喜びをわかちあったり、些細なやったぜ感で小さなガッツポーズをしたりするそんな毎日っていうのは、やっぱりかけがえのない自分自身として思い出されるのだろうな、なんてね。



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コメント

[C1597]

波野井さん、こんばんは。
なかなかおもしろかったですよ!
この方の書いたほかの物は正直まるでぴんときませんでしたが、これは傑作かと。
文庫本はちくま文庫で出ています。
  • 2012-11-11 23:35
  • goldenblue
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[C1595]

こんばんは!
ご無沙汰してます(^。^;)

なんか面白そうなお話しですねえ。
そういう訳で
あえて本文を読まずにコメントしてまし(^。^;)

本屋で探してみます(≧▽≦)!
  • 2012-11-11 23:19
  • 波野井露楠
  • URL
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[C1582]

LA MOSCAさん、こんにちは。
そういう思いになることありますよね。
大嫌いだった奴でも、とても懐かしく感じるような。
この本、主人公がダメダメなところとか、過去を振り返る形で一人一人のエピソードを語るところなんかは少し「ライ麦畑」に味わいが似ています。
  • 2012-11-05 08:14
  • goldenblue
  • URL
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[C1581]

うん、そうですよね。
その時には辛かったり、恥ずかしかったり、嫌だったりしたことも時間が経てば・・・。
無駄なんて人生にはひとつもないのかもしれない。

昨日、仕事で事情があって懐かしい顔を沢山見たけど、
毎日顔合わせてた時は大嫌いだったヤツでさえも久々に会えたのが嬉しかったりしました。

『ライ麦畑~』のエンディングの言葉を思い出してました。

[C1579]

megumickさん、こんにちは。
うん、そんな気持ちになりました。
無駄なことなんてなにもなくて、特別な体験以上に些細なことが、自分自身を形作るかけがえのないピースになっていたりするものなんだろうな、と。
素敵な気持ちにさせてくれる本でした。おすすめですよー。

  • 2012-11-04 15:57
  • goldenblue
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[C1577]

何だか分かる気がします。
今までのいろんな思い出。
特別な出来事でない日常の積み重ねの中にある
そんな些細な思い出も、今振り返ると懐かしい。
何も無駄な事ではなかったんだななんて・・・
今こうしてることも懐かしい思い出になるんだろうな・・・
  • 2012-11-02 21:56
  • megumick
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[C1576]

つき子さん、こんにちは。
ハハハ、確かにあんまり柄じゃないかも。
平安寿子さんのことはまるで知らなくて、図書館でたまたま。
これがおもしろかったのでほかの小説も手にとってみましたが、それはあまりそそられなかったです。
でも素敵な方ですね。
自分の過去へのさばさばした向き合い方とか、力まない感じがいいなー、と思います。
  • 2012-11-02 08:29
  • goldenblue
  • URL
  • 編集

[C1575]

平安寿子さん、けっこう好きです。このブログに出てくるとは思わなかったなぁ。
  • 2012-11-02 06:34
  • つき子
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golden blue

Author:golden blue
“日々の糧と回心の契機”のタイトルは、好きな作家の一人である池澤夏樹氏が、自身と本との関わりを語った著書『海図と航海日誌』の一節より。
“日々の糧”とは、なければ飢えてしまう精神の食糧とでもいうべきもの。“回心”とは、善なる方向へ心を向ける、とでもいうような意味。
自分にとって“日々の糧”であり“回心の契機”となった音楽を中心に、日々の雑多な気持ちを綴っていきたいと思います。

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