昨年の夏に訪れたときには辺り一面まっ茶色の埋立地のような風景だった陸前高田の町。 今はほうぼうに雑草が生い茂り、時の経過をまざまざと感じさせられました。 ここに、かつて高田の町があった。 僕自身はその風景を見たことがないのでただ想像するしかないのですが、知っている方にとっては愕然とする光景なのだろうと思います。 ふと思い出したのはこんな歌でした。 It's hard to believe that this is the place Where we were so happy all our lives Now so empty inside and feeling no pain Waiting for a hammer and a big ball and chain They can tear it all down and build something new But only I remember what was here Tomorrow comes easy just another day gone How long will I have to keep returning この場所が、かつて僕らが幸せに過ごした場所だとは信じられない 今はもうからっぽで、痛みさえ感じない 鎖につながれ、ただハンマーが振り下ろされるのを待っている 彼らはひとしきり涙を流したあと、そして新しいものを建てはじめる けど、僕は、かつてここにあったものを思い出すだけ 明日は簡単にやってくるし、毎日はあっという間に過ぎてしまう あぁ、どれほどあの頃に戻りたいと思っているだろう (The Faces - Love Lives Here ) 今回のボランティアでは地元の方のお話を伺う機会がありました。 ご自身も被災され思い出したくない辛い経験をされる中で、あのときの状況を風化させてはならない、語り継いで行かなくてはならない、という思いで、"語り部"として活動をしておられる方々です。 ここは市民体育館。陸前高田市での死亡者・行方不明者あわせては1996名にのぼりますが、この場所では100名以上の方が亡くなられました。 陸前高田の町は海から2km以上に渡って平野部があり、さらに今は失われてしまった7万本の松原が海岸線にあり、普段の暮らしの中ではあまり海を意識することはなかったそうです。 この体育館は災害時の避難場所に指定されていて、地震のあとたくさんの方々がここに避難されました。 誰もが、ここは海から遠く離れている、まずは避難すれば大丈夫と信じたことでしょう。 しかし、町を襲った津波は軽々と堤防を越え松林をなぎ倒し、平野部にあったこの避難場所はひとたまりもなかったそうです。 津波の高さは15mにも及び、たくさんの瓦礫を巻き込みながら体育館の中で渦を巻き、天井にまで届き、天井の梁にしがみついて翌日に自衛隊に救助されてかろうじて助かった方がわずかに数名。 渦の中に飲み込まれるたくさんの人、助けてくれという叫び声、力尽きて沈んでいく人、、、生き残った方が遭遇したものは本当に生き地獄だったそうです。 語り部の方はこうおっしゃっていました。 「なぜこんな場所が避難場所に指定されていていたのか、そういう悔しい思いはあります。でもそう言っても仕方がない。行政も含めて私たち住民の災害に対する意識が甘すぎたのです。」 「でも、どうか皆さんもご自身のことを考えてください。あなたの町でも起こり得ることなのです。まさかのときの避難場所はどこなのか、その避難場所はどんな災害には有効でどんな災害に対しては意味がないのか、まずは調べておいてください。」と。 それからこうもおっしゃっていました。 「命よりも大切なものはありません。それぞれ一人一人が、自分の命をまず最優先して逃げてください。ひとりひとりが“てんでんこ”に逃げましょう。」 なぜなら、亡くなったの多くが、家族を迎えに一旦自宅に戻ったり、家に物を取りに行ったりして津波にまきこまれてしまったからです。助けに行った家族はすでに避難していて無事だったのに、迎えに行った人が亡くなってしまった、ということもたくさんあったようです。 「こういうことは、あらかじめ話し合っておかないといざというときには実行できません。みなさんも帰ったらまずそのことを、大切な人たちと話し合ってください。ここで起きた悲惨なことを繰り返さないことが、亡くなられた方への一番の供養になります。」 このブログを読んだら、皆さんもぜひご家族やご友人と話し合ってほしいと思います。 被災地のことについて、あまり悲しい話やむごい話、荒れた風景のことなどはブログに書くべきではないと思っていました。実際にそのような体験をされた方も含めて、ただ訪れただけの部外者が訳知り顔で無責任にいろんなことを書くのは、気分を害される方もおられるのではないか、と。 ただ「このことをたくさんの方に伝えてほしい、一人でも多く、自分自身に起きることかもしれないと思っていただくことでまさかのときの犠牲をなくしたい」ということが語り部さんの思いでしたので、あえて書きました。 A Nod is As Good As a Wink to a Blind Horse / Faces “Love Lives Here”は、1971年の発表されたフェイセズの3枚目のアルバム『馬の耳に念仏』に収録の、いかにもロニー・レーンらしいしみじみとしたナンバー。
失われたものへの嘆きの歌なのだけど、タイトルは“Love Lived…”ではなく“Love Lives…”なんですね。
過去形ではなく現在形で、まだ同じ場所で愛は今もここにある。
そのことがより深い悲しみと、絶望ではない一筋の光を表わしていると思います。
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ほんとうにまだまだこれからですね。
堤防を造るのか造らないのか、旧市街地を居住地にするのか、それとも高台を拓くのか、いろんなことが決まらない中でただ時間だけが過ぎていく、そんな感じみたいです。
ただ、12月の訪問の時よりもお店が増えて賑やかになっていて、確実に前進していることは感じられましたよ!