「この世界で人間が一番賢いわけではない、ということをいつも私に教えてくれるのが科学です。そう教えられると、なぜか心が安らかになって、空気を深く吸い込めるような気分になります。」 (文庫版あとがきより) 科学の扉をノックする / 小川 洋子 先週たまたま本屋で見かけて何となく買って、予想以上におもしろくって読みふけっていたこの本は、小川洋子さんが、天文・鉱物・遺伝子・電子・微生物・解剖のそれぞれの研究者とプロ野球のトレーニングコーチにインタビューし、科学の世界の魅力に迫った、というもの。
宇宙の神秘や、生命の不思議さについて、とてもナチュラルに、素朴な感動を伝えてくれるところが好感が持てる。
いくつか引用してみよう。
「我々の身体の炭素や窒素は、50億年以上も前に、どこかの星でできたものなんです。しかもその星は爆発して、今はもうなくなっているんです。」
ネアンデルタール人かクロマニヨン人か知らないが、とにかく自分の先祖がいることはなんとなく認識していた。精一杯頭を振り絞ってイメージするならば、海に誕生した単細胞生物まで遡ることも不可能ではない。しかし、50億年以上昔の宇宙に、自分の起源があるなどとは思ってもいなかった。
(1章 宇宙を知ることが自分を知ること)
「大腸菌から人間まで、すべて同じ遺伝子暗号、同じ遺伝子暗号解読表を使っているんです。これはすごいことでしょう。人類は皆兄弟だと言う人がいますが、それどころかすべての生き物がDNAでつながっている。」
(3章 命の源 “サムシング・グレート”)
私がおもしろいと感じたのは、進化が決して、栄光に彩られた勝利の賜物ではないということだった。生存競争を勝ち抜き、全生物の頂点に立ったかのように見える我々ヒトでさえ、その進化の歴史は失敗に彩られているらしい。偶然や勘違いを無数に経て、転んだり道に迷ったりしているというのだ。その結果、進化の“当初の狙い”と最終的に出来上がったものの役割が異なる事態も決して珍しいことではなく、むしろそれこそが進化の常道となっている。
(6章 平等に命をいとおしむ学問 “遺体科学”)
理系の話を理系の人がするとなんだかとても小難しくなってしまうのだけれど、小川洋子さんならではの純朴な視点から入ればこんなにも深く心に入ってくるものになるのだな。
思い起こせば中学1,2年の頃までは、理科は嫌いな科目ではなかった。
図鑑を見たり、星座を探したり、顕微鏡をのぞいたり、天気図を書いたりすることはとても大好きだったのに、いつの間にか嫌いになってしまったのは、科学という学問が持つ大いなるロマンを語ってくれる先生がいなかったからだと思う。「この数式は覚えておきなさい」だの「ここが試験に出ます」だのそんな目の前の小さなことに対処する方法だけをチマチマ言うばっかりの勉強というものに僕はあるときからすっかり興味をなくしてしまったのだ。
勉強はそもそも、試験に通る事が目的だったのではないだろう?試験に通る事を通じて得ることが出来る幸せの可能性のために試験はあったはずだろう?手段が目的化されて本来の目的が見失われた時、物事はあやしくなる。
科学者なんて人たちも、そういう枝葉末節のどうでもいいことばかりをシコシコとやっている人たちという偏見があったのだが、この本を読んで改めてそれは偏見だったと思い知らされた。
この本に登場する7人の専門家の方々がとても素晴らしいと思うのは、目の前で起きている事象にワクワクして、それをもっともっと知りたいと思う好奇心と、その積み上げられた事象からはるか古代のことやはるかにミクロな世界のこと…つまり目で見る事ができない世界に対して想像力。
そして何よりも、科学を通じて人の暮らしや営みや生命について思いを馳せられていること。
読みながら、心が安らかになって、空気を深く吸い込めるような快い気分になることができた。冒頭に挙げた小川洋子さんの言葉と同じように。
知れば知るほどに、この世界は不思議で、謎に満ちていて、深い。
自分が今生きているということは、50億年来連綿と続いている長い長い時間の流れの中を繋がってきた奇跡のひとつなのだ。そしてその奇跡は、偶然を伴う絶妙の配分よって保たれてきたものであって、とても危ういもの、まさに奇跡的なバランスの上に成り立っているものなのだ。
自分の力をはるかに超えた宇宙のとても大きな力の中で今ここにある生命。
そのことを考える時、僕は世界に対してとても謙虚な気持ちになる。
それは、とても大切なことだ、と思う。
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「大飯原発再稼動決定」の報道。
原子力をなんとしても維持したい人たちの言うことには、「この数式は覚えておきなさい」とか「ここが入試に出ます」とか言っていた教師に感じたものと同じ種類の嫌悪感がする。
人の営みへの謙虚な思い、つまりは宇宙の大きな力の奇跡的なバランスへの敬意ってものがまるで欠落したまま、目の前の金勘定や辻褄あわせだけに終始しているように見える。
そんな人たちのやることを、信頼する気にはとてもなれないな。
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こういう話はとてもワクワクしますよね!
エクトプラズマ?よくわからないけどおもしろそう。
「気」というものは確かにあって、相互に影響を与えあっているような気がします。
小川洋子さんの小説は実は僕もちゃんと読んだことがないのですが、エッセイはとても素直な文章であまり気負わず自然なところが魅力的です。