イスラエルから戻った僕が次に向かったのは、ナイル川を南へさかのぼった上流の町、ルクソール。 カイロから夜行電車で約8時間。ここは、いわゆる「王家の谷」があることで有名な町。 ナイル川をはさんで東側には小さな町があり、人々が普通に暮らしている。そして西側にはかつてのエジプト王家の墓がたくさんあり、こちら側には小さな村が点在するだけであまり人は住んでいない。東岸と西岸の間に橋はなく、渡し舟が運行されている。 この町で、ほんとうに殺されるのか、と命を覚悟するような経験をすることになるとは思いもしなかった。 * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * 首尾よくガイドを見つけ、ロバにまたがってルクソール西岸の観光を終えた僕は、帰り際にそのガイドの男に「今夜、西岸の村で結婚式のパーティーがある。とてもたくさんの人が集まる賑やかなパーティーだ。よかったら見に来ないか?」と声を掛けられた。 ちなみにガイドの名前は“Mr.ノー・プロブレム”。ヌビア地方の出身だと言っていた。 「じゃあ、夕方7時に船着場で。」 夕方3時くらいにそう約束を交わしてMr.ノー・プロブレムと別れた僕は、一旦ホテルへ戻ってシャワーを浴び、ガイドブックに目を通しながらうとうとしてしまった。 エジプトでは結婚というのはかなりお金がかかるもので、男側からすれば結婚式は一人前の男として社会に認められるための大きなイベントなのだそうだ。親戚縁者を集めて夜通し盛大に行われる、と聞いたことがある。観光客が結婚式に参加できるとは聞いたことがないけれど、エジプト人はいいかげんだから、祝福の意を表わす者ならば結構参加できるのかもしれないな。 そんなことを思いながら、日が暮れ始めた船着場へ。 エジプト社会はまだとても若く十代以下の人口が50%以上を占めると聞いたことがあるけれど、あっちにもこっちにも子ども達がたくさんうろついている。どこの社会でもそうなのだろうけど子ども達は人懐っこい。ちょっとめずらしいものがあればすぐに寄ってくる。そしてルクソールへの日本人の個人観光客はめずらしいのだろう(大抵の日本人はツアーバスで移動する)、船に乗ったら案の定子ども達が話しかけてくる。 「Hey,Man!Where are you going to?」 「I’m going to party,Wedding party.」 「Party?Tonight?」 「Yes,Tonight.I invited from Mr.No Problem.」 Mr.ノー・プロブレムの名前が出た途端に、子ども達が口々に叫び出したのだ。 「Mr.No Problem!No!You don’t go!」 「Don’t go? Why?」 「Mr.No Problem is problem!」 「Mr.No Problem is a Bad man!」 「Mr.No Problem will kill you!」 バッド・マン?キル・ユー?? 一瞬その言葉が僕の頭の中を駆け巡り、思考が止まる。 えっ、どういうこと? しかし、そのことを冷静に吟味する間もなく船は西岸の船着場についてしまった。 岸ではMr.ノー・プロブレムが笑顔で手を振っている。 やばいのか?だいじょうぶか?どうするんだ? 思考停止になったまま、他の乗客に促されるように、僕は船に掛けられた板を渡って岸に下りてしまった。 青ざめた顔をして僕を見送る子ども達を背に、僕はMr.ノー・プロブレムに促されてピック・アップ・トラックを改造した乗り合い自動車に乗り込んでしまった。 数分走って降ろされたのは、土の壁で囲われた小さな民家。 あたりはすっかり日が暮れようとしていた。 周りはがらんとしていて何もない。 Mr.ノー・プロブレムに「私の家だ。」と紹介され、小さな土間に通される。 「パーティーまではまだ間がある。ここでゆっくりしていってくれ。」そんなことを言い渡され、僕の心の中に芽生えた疑心暗鬼は一気に膨らみ始めた。 つい30分ほど前までは考えもしなかった、自分の身に今起きようとしている出来事、、、子どもたちの“バッド・マン”“キル・ユー”の言葉が頭の中でガンガンとこだまし大きくなっていく。 そうか、そういうことか。 ここは観光地。しかし土地の人々の暮らしは決して裕福ではない。 外からやってくる裕福な人間達の暮らしぶりを横目に見ながらその日暮らしで生活をしのいでいる彼らにとって、観光客は金の卵。大きなツアー客を狙うのは難しいけれど、個人の観光客を一人抹殺してその有り金を奪い取るくらいわけもないことなのかもしれない。僕なんて大して金を持っているわけではない、というのはあくまで僕側の論理であって、彼らからしたら僕は狙われるに値するだけのじゅうぶんな大金持ちなのだ。僕が今持っている所持金だけで、彼の家族を数ヶ月以上養うことが出来るはずだ。 あぁ、こんなところで身包みはがれて殺されるのか・・・。 そう思うと、歯がガタガタと震えてきた。 どうしてこんなところにのこのことやってきてしまったんだ。 どうしよう。どうすればいい?脱出できる方法はあるのか? いや、逃げて暴れ出した方が奴等の思う壺なのか? 安全を確保するためには川の向こうへ渡らなければいけないけれど。渡し舟のおっさんもグルだったらアウトだ。 どうしよう。どうすればいい? あぁ、せめて、宿のおっさんに西岸へ出かけると告げておくべきだった。相談すべきだった。昼寝なんてするんじゃなかった。 このまま僕が帰らなければ、いずれ残された荷物から僕が行方不明になっていることがわかるだろう。 やがて僕の遺体はナイル川のはるか河口で発見され、夕方のニュース番組でほんの10秒程度、そのニュースが読み上げられるのだろう。 そうやって沈黙のまま1時間か2時間か、どれくらいの時間が過ぎたのだろうか。 もうこうなったらダメ元だ。 いざとなったら有り金を全部置いて許しを乞おう。 そう意を決してから僕はMr.ノー・プロブレムにこう言った。 「Sorry,I want to go back to Hotel,because I had very bad headache.」 実際、僕の顔は、とんでもなく青ざめていただろう。 展開は意外だった。 Mr.ノー・プロブレムは「そうか、それは仕方がないな。」みたいな感じで肯いて、車を出して船着場まで僕を送ってくれたのだ。 「アッサラーム・アレイコム」 そういってハグされて別れを告げられ、僕は船に乗って向こう岸に着いた。 拍子抜けしたまま僕は解放された。 * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * 果たして、彼の本当の意図はなんだったのか? ひょっとしたら本当に日本人に結婚パーティーを見せてあげようと思ってくれたいい人だったのか? 彼の善意を僕は踏みにじってしまったのか? いや、有り得ない。 命までとられるかどうかは別にしても。彼はきっと僕からふんだくることを企てていたはずだ。 どうして無事に帰してくれたのかはよくわからないが、彼の見立てよりもはるかに価値がなかったのだろう、きっと。 いずれにせよ、紙一重で僕は命拾いしたのだ。 バッド・マン!キル・ユー!という子ども達の言葉が今も僕の耳の奥にこびりついている。 無事生還できていなければ、僕は皆さんと出会うことはなかったのかもしれません。نوبة لا- العاالمي حمزة علاء الدين Hamza el-din ( مترجم ) Music of Nubia / Hamza El Din 一応音楽の紹介を。
ハムザ・エル・ディンさん。エジプト南部・ヌビア地方出身のウードを弾きながら歌うシンガー。
ウードという楽器 は、大きな瓜のようなボディを持つフレットレスの12弦で、ギターの先祖のような楽器で、弾き語りながら物語を歌うスタイルには、ブルースのルーツが垣間見える。
エジプトにはNo Life,No Nileという言葉があって、雨の降らない砂漠地帯で8000万もの人間が暮らしていけるのはナイル川の恵みがあってこそ。
決して豊かな土地ではないからこそ、人々は生きることにとても貪欲だ。貪欲にならざるを得ないといった方がいいのだろう。
生きることがあまりにもイージーな国で育った僕らは、彼らの持つ貪欲なエネルギーにはとても太刀打ちできない、と思う。
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これは行動力、ということではなくただのアホです。命を落としてもまったく自業自得。ひょっとしたらとんでもない迷惑をかけたかもしれません。
まだまだ守るもがなかった若さが故の思慮の浅さです。
ほんと、生きて帰してもらえてラッキーでした。