いっそさっさと再稼動しちゃえば? この度の事故ではたくさんの放射性物質がまき散らかされたけれど、放射能を直接的な原因とした死者は一人も出ていないではないか。 つまり原子力発電所は、千年に一度の規模の大津波でも誰も死なないレベルには安全だということだ。 しかし、電気がなければ確実に死人が出る。 重篤な患者を扱う医療現場で、真夏に熱中症で、信号が止まった交差点で。 一昨年の猛暑、覚えていますか?冷房があってさえあれだけ暑かった夏、ピーク時に節電なんて本当に出来ますか?微量な放射線の影響は出るかでないか、出ても数十年の単位のこと、でも熱中症は今生きるか死ぬかだよ? そして、電力の停滞が長引けば、確実に経済は衰退する。 経済が衰退するということはどういうことか?単なる不景気とは訳が違う。 この国でモノが作れない、生産がされなくなり流通が止まる、そのことで生活の糧を得ている会社は次々とリストラ、或いは倒産。仕事がなくなる、収入がなくなる、ますます消費は滞り行き詰る会社が増え失業者が増える悪循環、海外から入ってくるものは当然うんと高くなる。石油だって値段吊り上げられる。ものすごいインフレが起きてごく一部の金持ちと貧乏人の格差はますます広がっていくだろう。 仮に少しの規模の放射能漏れがあったところで、被害に遭うのは一部の人たちだけじゃないですか? でも原発が止まったままだと日本中の人がとても困ってしまうんですよ? 少しの土地で農業や漁業ができなくなったとしても、経済さえ順調ならばよその国から買えば済むことじゃないですか?でも経済がだめになったら、よその国から買うこともできなくなるんですよ? 果たしてどちらが幸せでしょう? それでも原発を稼動させるのは反対ですか? 極端に意地悪なことを敢えて書きました。 それは、原発がらみの報道を見ていたらこの歌を思い出したからだ。 THE BLUE HEARTS-イメージ ♪どっかの坊主が親の脛かじりながら どっかの坊主が「原発はいらねぇ」ってよ どうやらそれが新しい流行なんだな 明日は一体何が流行るんだろう Bust Waste Hip / ザ・ブルーハーツ ♪イメージ、イメージ、イメージが大切だ
中身はなくてもイメージがあればいい
この曲が出された80年代後半、チェルノブイリの事故を受けて反原発の機運が高まった。
今度の事故でも「あの時もっと反対していれば」と思った人も多いはず。
なぜあの時、運動は雲散霧消してしまったのか。
・反原発が特定のイデオロギーと結びついて、政治の道具のようになってしまったこと。
・バブル絶頂期、経済成長の足を引っ張るようなことなど到底考えるまでもなかったこと。
・なんだかんだ言ってもあれはソビエトでの話。優秀な日本人が事故を起こすはずがないと心の底では誰もが思っていたこと。
・反原発だと言うことが(エコロジーっぽくて)かっこいいことみたいになったこと。結果的にそれはファッションになり、最後には飽きられてしまった。
そんなとこじゃなかったでしょうか。
まずは「反対だ!」と声を上げること、それは第一段階としてはとても大切なことなんだと思う。
でも、ただ反対するだけなら、誰だって出来る。
原発を推進したい人たちはきっと、今「反対」と叫んでいる僕たちの底の浅さを知っていて、なんだかんだ言ったところで実際真夏になってにっちもさっちもいかなくなって計画停電をやるといえば、原発を動かしてくださいと逆に泣きついてくるさ、とタカをくくっているに違いない。
実際僕もそう思う。
「仲間を裏切らない」と堅く心に誓ったはずの男が、拷問を受けていとも簡単にすべてを吐いてしまうように、勢いだけの反原発の掛け声なんて、たった一日の猛暑の日の停電でもろくも崩れ去ってしまうに違いないのだ。
そうなってしまえばきっとおしまい。
あれほど威勢の良かった学生運動のお兄さんたちがあっという間に従順な社会人に変身して、続く世代の芽まで全部摘んでしまったみたいに(トゲのある言い方で申し訳ないが僕はあの世代が大嫌いなのです)、あっという間に終わってしまうはずだ。
本当に、子供たちの将来に原発を負の遺産として残したくないのなら。
志の高い一部の人たちは、節電を強要してはいけない。
つまり、電気を使うことを「悪」にしてはいけない。
人は誰も幸せと快適を求めるもの、苦行のために生きているわけじゃないのだから、幸せと快適のためには電気は必要なのだ。そこ、認めるところからはじめよう。
問題はどのようにして電気を造るか、だ。
そのために、どのようにして原発に代わるクリーンで持続可能なエネルギーを確保していくかの中長期的なヴィジョンとロードマップが必要だ。
まずは、福島での事故の原因を第三者機関を含めて究明すること。
その上で、地震や津波に対して一定の安全基準をクリアしている原発を再稼動を行うことについては、安定した電力を確保する上で必要ならば認めるべきだと思う。
ただし、事故が発生した際の避難計画を、事故の規模に合わせて(福島以上の規模も想定した上で)明らかにすること。
それから、老朽化した原発の廃炉の基準と手順を明らかにし、順次廃炉の作業に入ること。
並行して、代替エネルギーの開発が旺盛になるための補助金や税制上の優遇措置の政策を速やかに実行し、再生可能エネルギーの実用化を国を挙げて推進すること。
そのようなプロセスを経て30年程度かけて新しいエネルギーの仕組みを安定させながら最終的に原発を0にしていく。
実現可能な「脱原発」というのはこのような感じなのではないのだろうか。
電気を使うことを「悪」にした途端に、反原発は失速する。
ヒステリックになって性急にコトを解決しようとしないほうがいい。
冒頭に書いたような脅し文句で奴らは原発の再稼働を突きつけてくるのだろうけど、ビビッてはいけない。経済の低迷は奴らも望んではいないのだから、そんなのはただの脅し文句に過ぎないのだ。
反対派も推進派もこの国を滅ぼしたいわけではないのだから、接点は必ずある。
だから、どうか流行りで終わらせて頓挫してしまうのだけは勘弁してほしいな。
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電気は最小限に、とは思いつつも今更ながら、やはり電気のない暮らしは成り立たないとつくづく思います。
本文にも書きましたが、電気が悪ではない。それを作る方法として、このままでは無理がくるから変えていきましょう、という考えでない限り、反原発が破綻するのが目に見えています。アツモノに懲りてナマスを吹くようなことをしていても疲れてしまう。疲れたあとに、またこりごりするのです。
エネルギーは10年単位で、目先の再稼働よりも、そういう議論が大切ですね。でなきゃ、それはそれで原発を続けたい人の思惑通りになってしまう。