うちの裏には疎水が流れていて、ベランダから疎水を見ることができる。 休みの日、たまーにベランダに出て、ぼけーっと疎水を見るのが僕の癒しの時間のひとつ。 この疎水は、毎年冬のある時期には流れが堰止められてしまう。 そうすると疎水は深さ10cmくらいの大きな溝になり、水底にあった藻なんかがぷかぷか浮いてきたりして見栄えとしてはずいぶんみすぼらしいものになってしまうのだけれど、それはそれで楽しいこともある。 どこからともなく白鷺がやってくるのだ。 適度な浅さが彼らにとって格好の漁場になるのだろう。 白鷺が魚を探しにじーっと水面を見つめて突っ立っている。 そろりそろりと移動して狙いをすませてたかと思うやいなや、さっと飛びかかってバクっと魚を仕留めていく、その様はずーっと見ていてもまるで飽きない。 やがて4羽、5羽と集まってきては、白鷺の晩餐が始まる。 彼らは、僕がのぞき込んでいることなどお構いなしにひたすらに魚を狙い、満足したらふわっと飛び立ってゆく。 たまにギュエェェェェー、とか大きな声で啼き声をあげたりする。 愉快だ。 すぐそばに生き物の気配がするというのはなんとなくいいな。 お互いの存在は認めつつもまるで利害関係がないので、どちらも自分たちの好きなようにふるまっているその様子は、アフリカのサバンナに暮らすインパラやシマウマみたいな気分がしてきて何とものどかな気分になれるのです。 ところが。 先週からまた疎水に水が流されはじめてしまった。 疎水に水が満たされてしまうと、白鷺たちの愉快なパーティーは終わりを告げる。 白鷺たちは撤退を余儀なくされ、どこか別のエサ場を求めて去っていってしまう。 やがて疎水には観光用の十石船の運航がはじまり、土手には花が咲き、遊歩道にはお散歩する人の姿が戻ってくるだろう。 それはそれで別の種類ののどかさはあるのだけれど、どことなく淋しい気がしてしまうのだ。 ベランダの岸辺 / のっこ 今日の音楽はのっこさんの『ベランダの岸辺』。
あの元レベッカのNOKKOさんが唯一「のっこ」という名義で出したアルバムで、ユーミンの“ヴェルヴェット・イースター”やミルトン・ナシメントの曲のカヴァーがあったりして、レベッカやソロでの元気いっぱいのNOKKOとはまた違う、ふとひとりになったときの素顔みたいな感じのプライヴェートな佇まいがとても素敵な作品だ。
のっこ 「わすれな草」 ベランダの岸辺でまだ肌寒い風を浴びながらぼんやりと過ごす午後。
疎水の水面に走るさざなみを見ながら、飛び立ってしまったものたちのことを考える。
あの白鷺たちは、どこへ飛んでいったのだろう。
そして今はどこにいるのだろうか、と。
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このあたりはなかなか風情あっていいですよー。でも、例年ならすっかり春本番なのに、今年はまだまだ気配もない。どうなるんでしょうねぇ。
花粉症はずいぶんましになりました。
春本番までにギックリ腰治さなくちゃ(笑)。