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◇一年

東日本大震災から一年。
このことに関して何か記事を書くべきかどうか迷っていた。
あまりにも多くのことがあり、多くの情報があり、けれども一方で本当に大切かもしれない情報はどこにもなく、それぞれがそれぞれにいろんな角度からいろんな感じ方考え方があって。
その中で自分は何を感じて何を考えてきたのか、と何か書こうとすればするほどに、思考はどんどん袋小路に入って行き詰まってしまい、書くべきことの糸口が見えなくなってしまう。言葉がどんどん遠ざかっていく。何が言いたいんだ、僕は??
そもそも一年たったといっても、被災地の外側にいた僕たちと、被災された土地のみなさんではきっと一年の流れ方も重みもまるで違うのであって、そんな僕が一年ということを振り返るのはとてもおこがましい気さえしてくる。

「たいへんだけどがんばっていきましょう」
「復興はまだまだ遠い道のりだ」
「自分にできることは何でもやっていきたい」

その複雑で言葉にしにくい思いを、とりあえずそんな言葉でごまかすことは出来る。
でも結局のところそんな言葉は、ただの標語や表題程度の意味しか持ち得ない。
テレビと週刊誌はどこも震災一年ということを切り口にある種の“お祭り”的な様相を見せているけれど、そのほとんどは、どこか細部の迷いや戸惑いを切り捨ててドラマチックに仕上げたにおいがしてどうも素直に受け入れられない。
だからといって、誰かを非難したり中傷したりのやり玉探しや、自分のことを棚に上げた「だからダメなんだよ」的なあるべき論を振りかざされるのはもっと嫌だし、もしもM9クラスの地震が来たら、的な番組は部分的には役立つものの、きっと本当に事が起きた時にはやはり機能しない程度の知識でしかない。
なんていえばいいんだろう。
僕が聴きたい言葉は、そんな言葉でない、という漠然とした思いだけが宙に舞っている、そんな感じ。


著作をそんなにたくさん読んだわけではないけれど、辺見庸氏はとても信頼できる書き手だと思う。
通信社の記者として、また作家として世界中を移動し、様々なことを自分の目で見て語ってきた氏は今、脳卒中の後遺症により半身不随になり、被災地へ赴くことが叶わないのだそうだ。
そんな中で書かれたのがこの本。

瓦礫の中から言葉を―わたしの<死者>へ (NHK出版新書 363)
瓦礫の中から言葉を―わたしの<死者>へ  / 辺見 庸


この本の中で辺見氏は、3.11の後、いくつかの新聞のインタビューで「日本はどうなると思うか」「日本はどのように再生すべきか」と問われ「この際いっそ滅びてみてもよいのではないか」「べつに再生しなくてもかまわないのではないか」などとまぜかえしたが、案の定新聞には一行も載っていなかった、とのエピソードを『表現の“デキレース”』という言葉で紹介している。
彼らは結局のところは、聞く前から出きている記事のパターンに合う手垢のついた言葉を拾ってあてはめる作業を行っているに過ぎないのだ、と。
検閲制度がないにもかかわらず、強制されてもいないのに自由な言説を自己抑制し、課されてもいないのに自ら謹慎してしまう、そんな内圧がとても高いこの国で、言葉が危うくなっている、と。
そしてそんな空洞化した言葉は、人々の胸の奥底には届かず、そらぞらしく発声され、人を抑圧しているのだ、と。

思い出してみよう。
もっと生々しい感情が、あったはずだ。
そして、もっと生々しい、言葉にならない言葉がそこにはあったはずだ。
そして、今もあるはずだ。
一年ということに対して何かを書くことに抵抗があったのは、一年ということを区切りに、この災厄をみんなで「まとめ」をして「ハイ、おしまい」としようとしているような感じがしてしまうからかもしれない。
そうじゃないだろう。
被災地だけのことではない。国民全員が当事者としての問題であるセシウムによる食品汚染のことにしても、原発をこれからどうするのかということにしても、方向を導き出せないまま袋小路に入ってしまっているうちに、みんなめんどくさくなってだんだんと忘れてしまおうとしている。或いはそんな状況に目をつぶって慣れてしまおうとしている。
いや、そうじゃないだろう。
あの日見た光景、あの日から経験したいいようのない恐れや不安、それをもう一度ちゃんと思い出してみるべきだ。あの日以降に芽生えた感情を思い起こしておくべきだ。
そうでなけりゃ、デキレースの言葉に、簡単に騙されてしまうことになってしまうのかもしれない。
そんなことを思った、ということだけは書きとめておかなくてはいけない、と思ったのだった。



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コメント

[C1105]

非双子さん、こんばんは。
おっしゃることもひとつの選択肢だろうとは思いますが、復興不可地域という考えは、素直に認めることが出来ない人もたくさんいるでしょうね。人間と暮らす土地との関わりというのは思いのほか深いようです。
また、賠償問題を考えた時には政府も東電もなすりあいをするだけに終わるでしょう。
本当にそこまでしなければならないほど危険なのか、ということが争点になるでしょうが、どこまでいっても正しいデータなんてあるわけないから、結局は白黒の判断なんて誰も出来ずにグレーのまま進むのでしょう。
最後に結果的に泣くことになるのは誰??
  • 2012-03-11 22:39
  • goldenblue
  • URL
  • 編集

[C1102]

かなり過激な意見と避難されそうですが

時間が経ちすぎて、セシウムは効果的には除去出来ません。
除去作業に予算を割くなら、汚染の少ない地域を新規に開発して下さい。
早期に復興不可地域を設定することが大事だと思います。
政府内では「想定」してるはず!

  • 2012-03-11 17:41
  • 非双子
  • URL
  • 編集

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golden blue

Author:golden blue
“日々の糧と回心の契機”のタイトルは、好きな作家の一人である池澤夏樹氏が、自身と本との関わりを語った著書『海図と航海日誌』の一節より。
“日々の糧”とは、なければ飢えてしまう精神の食糧とでもいうべきもの。“回心”とは、善なる方向へ心を向ける、とでもいうような意味。
自分にとって“日々の糧”であり“回心の契機”となった音楽を中心に、日々の雑多な気持ちを綴っていきたいと思います。

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