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◇足りないくらいがおもしろい

S氏は、日頃はロックだソウルだとほざいていますが、わりと根は生真面目なのです。
断りきれずに、或いはまぁなんとかなるだろう的に、もしくは隣の芝生のめんどうも自分ならうまくできるんじゃないか的いっちょかみたがり体質で、ついついいろんなものを請け負ってしまいがち。
気がつけばいつの間にか仕事が増えているようだ。
で、増えたからといって適当にえいやーっ、ってばっさりとやっつけちゃうことがなかなかできないようで、結局自分が納得いくまでコツコツと或いは意地になってやってしまうから、あー、今日もやりきったー、でもへろへろだぁ、みたいなことがままあるわけで。
三人兄弟の真ん中で育った、というせいもあるのだろう。兄貴と遊んだときの後片付けはいつも彼だった。兄貴は途中でさぼって、挙句「お前やっとけ。」って命令するから。そして弟と遊んだ時の後片付けもいつも彼。弟は「もう無理、あとはお願い。」って甘えてくるから、そういうのがすっかり身についてしまったのだ(笑)。しかも、やるからにはきっちりやらなきゃ気がすまない。
こういう性格はそれなりに役に立って重宝されることも多いのだけれど、やってる本人はどこへ行ってもそんな調子だから、やっぱり時々疲れたりもするみたい。
見えるから、つい動いてしまって、いらぬ苦労を背負ってしまって挙句パンクしてしまう、だったり、動かない人や気にもしない人についつい腹がたったり八つ当たりしたり。
性分だから仕方ないのだけれど、なんだかなぁ。


そんな気分のときにS氏が和まされ癒される本のひとつが、山本ふみこさんの本。
ぱらぱらめくると、そこにそのときほしいなぁ、と思っていた言葉がポンッとあったりするから、なかなかこの人の文章とは相性がいいらしい。


「期待」はときに、重すぎる。
そしてときに、ひとから自由を奪う。
たとえ「期待」されても、そしてそれがどんなに大きくて、自分に向けられる「期待」として見当違いだとしても・・・。そっとまたぐかくぐるかして、すたすた歩いてしまえばよかったのだ。そも、「期待」がわるいわけではないのだし。
   (思いがけないがんばり)


「根がおっちょこちょいなものだから、判断といったようななだらかなものが下りてくる前に動いて台無しにする。つまり、頃合いを、つい追い越してしまっているのである。」

「つかもうとするとだめなんじゃないか、とふと思った。もし、頃合いというものが降ってくるものだとしたら、
わたしは落ちてくるそれをそっと両の手で受けとめればいい、ということになる。」

「やってきた頃合いの顔を見てから考える、判断するというのでじゅうぶん間に合うことを発見した私は、以前の自分から見たら少し愚図になったようだ。けれど、愚図になったおかげで、自分が決めるのに違いないけれど、頃合いを雲の合間から落としてよこしたものに応援されているような、やすらかな心境を得たのである。」
   (頃合い(タイミング))

S氏的にはこれ、かなり“あるある”って感じなようです。

足りないくらいがおもしろい (山本さんの愉快な家事手帖4 )
足りないくらいがおもしろい (山本さんの愉快な家事手帖4 ) / 山本ふみこ


「足りないことのおもしろいのは、そこにたのしみやら贅沢やらがひそんでいるところです。」
なんて真正面から言われるとなんだかとても日々真っ直ぐに精進しておられるエライお方のお説教みたいにも感じてしまうのだけれど実は全然そういうわけではなく、むしろスタンスはテキトー&ゆるゆる。
ただ山本さんの場合は、生まれついてのゆるさというよりは、若き日にしゃかりきになっていろんな苦労をした挙句につかんだ極意、って感じがする。ところどころに生来の生真面目さもうかがえたりして、そんなとこちょっと共感したりしているわけで。S氏はこの人のそういう人が好きなんだろうな。

もうひとつ、このエッセイの中からご紹介。


「一日一善」ということばもある。一日にひとつ善い行いをする、という意味である。しかし、善悪というのがまたむずかしく、現代においてはますますむずかしく、よかれと思ってしたことがひとを不仕合せにしたり、ひどい仕打ちがひとを救ったりする。だから「一善」と云われても、わたしにわかりやすいのは、自分にとっての「一善」ということになる。
くり返しの生活をたのしむためにも、毎日ひとつだけでもたのしみの要素をみつけ、生活向上の手がかりをつかみたい。
そうは云っても一日ひとつはなかなかたいへん。思うにまかせぬことばかりが目の前に積まれがっかりする。
そこで・・・
・一週間(七日間)という幅で考える。
・ひとりで「一善」を気負わず、皆で手分けして善を生む。
名づけて「七日七善」計画。
    (なぬかななぜん)

七日七善。
ハハァ、これくらい大らかにいきたいもんですね。


※ちなみにこの本、オレンジページのHPに連載中のブログ『山本ふみこさんのうふふ日記』から編集されたものだそうです。ご興味ある方はぜひブログものぞいてみてください。




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コメント

[C1009]

非双子さん、こんばんは。
ご指摘ありがとうございます。まるごと全部「膳」で誤変換していますね(笑)、さきほど修正しました。
一日一膳ではおなかぺこぺこですね。

努力嫌いの諦め、けっこうじゃないでしょうか!
どっかで「足りる」を知らないと、けっきょくどこまでいっても満足なんてしないような気もしますし。


  • 2012-02-15 21:13
  • goldenblue
  • URL
  • 編集

[C1008]

>若き日にしゃかりきになっていろんな苦労をした挙句につかんだ極意、って感じがする

同感、でも私は”努力嫌いの諦め”からの極意です。
「足りない」から夢があるし、工夫しなくちゃなりません。

追伸 
膳は善の間違い?ですよね。
空腹の今は「一日一膳」なんて考えられません(笑
  • 2012-02-15 19:18
  • 非双子
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  • 編集

[C1007]

まりさん、こんにちは。
ほしいなぁ、あればいいなぁと思うものはたくさんあるけど、本当に必要なものはそんなにたくさんではないのかもしれません。
手に入らないことを嘆きたくなるとき、「足りないくらいがおもしろい」という言葉は、ちょっとしたおまじないになりそうな気がします。


  • 2012-02-15 08:22
  • goldenblue
  • URL
  • 編集

[C1006] これは面白そう

私ぐらいの年齢だと 一つ一つ諦めるというか
決められた枠内で 生活したり 足らないのが普通になりつつあります。

たまに ご褒美のような お金が舞い込んでくると そりゃ もう大歓喜ですよ♪
まあ それも めったにありませんけど・・・
  • 2012-02-14 18:16
  • まり
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golden blue

Author:golden blue
“日々の糧と回心の契機”のタイトルは、好きな作家の一人である池澤夏樹氏が、自身と本との関わりを語った著書『海図と航海日誌』の一節より。
“日々の糧”とは、なければ飢えてしまう精神の食糧とでもいうべきもの。“回心”とは、善なる方向へ心を向ける、とでもいうような意味。
自分にとって“日々の糧”であり“回心の契機”となった音楽を中心に、日々の雑多な気持ちを綴っていきたいと思います。

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