表現者 / 石橋凌 今日もどっかの阿呆がビルから飛び降りちまったぜ
恋人の最後の手紙を懐に入れて
ニ、三日前もそうだったぜ 確か同じところで
砂を噛むような人生だったと走り書き残して
(喝!)
石橋凌の初のソロ・アルバム『表現者』は、「喝!」で始まる。
30年以上も前、ARBがまだアレキサンダー・ラグタイム・バンドと名乗っていた頃のファーストアルバムに収録されていた曲だ。
その「喝!」をはじめこのアルバムでは、「乾いた花」「淋しい街から」「After,45」「魂こがして」とARB時代の曲を5曲もセルフカバー。それ以外の7曲が新曲という編成。
参加ミュージシャンは、ギターにGROOVERSの藤井一彦、ベースにHEATWAVEの渡辺圭一、そしてドラムはあの池畑潤二。他にゲストで梅津和時(Sax)、伊藤ミキオ(Key)、また「魂こがして」ではピアノで板橋文夫さんが参加しているという。
悪いはずはない。
だけどこのアルバムを実際聴いてみるまで、一抹の不安があったのは確かだ。
ARBに出会ったのは高校生の時だった。
ジャケット全体に“魂”の文字が力いっぱいに描かれたライブアルバム『魂こがして』。
とにかくめいっぱい熱くたたきつけてくるような演奏と、怒りや苛立ちに満ちたメッセージにノックアウトされた。
時は1983年、テレビをつけてもアイドル歌手かくだらない呆けたお笑いか、クリスタルからバブルへ向かうきらびやかで怠惰な時代の中で、楽しいことなんてまるでなんにもなくてやることなすこと違和感だらけだった僕は、あっという間にARBの虜になったのだ。
ウォークマンで大音量でARBを聴きながら、いっしょにコブシを振り上げて叫んだ。
石橋凌は、「お前はOKだ、そんな所なんか飛び出して、やりたいことをやるんだ。」と僕をあおり、「ちんたらしてたら腐ってしまうぜ?」と僕のケツを蹴り上げた。
石橋凌は、あの頃の僕にとって、最高の兄貴分だった。
しかし、だからこそ、石橋凌の辿っていった行き方を、僕は微妙な気持ちで見ていた、というのが正直なところ。
バンドはその後、空前のバンドブームとも相まって、ビート・バンドの親玉的な扱いをされるようになっていった。けれどそれにつれて、メッセージはどんどん大袈裟になりリアリティを失っていくように僕には思えていたのだ。
だから、松田優作の意志を継いで俳優業に専念するとARBを解散させたときは、石橋凌らしいとは思ったもののARBがなくなることにそんなに深い感慨は既になかった。そして、たまにドラマやなんかで見かける石橋凌を「あんたがバンドを解散させてまでやりたかったことって、こんなことなのかい?」と醒めた目で見ていた。
そしてその一方で、石橋凌が歌ったとおりに悪くなっていく時代を見ながら、こんな時代だからこそアンタに歌って欲しいんだ、と思っていた。
あれからずいぶんと時間が経った。
56になった石橋凌は何をどんなふうに歌うのか?
ARB時代の歌をどんなふうに表現するのか?
CDをかける。
一発目に鳴った音、石橋凌の最初のひと声だけで、圧倒された。
すごい。
あの焦燥感と疾走感にあふれた「
喝! 」は、まるでイアン・デューリー&ブロックヘッヅばりのファンキーな音に生まれ変わっていた。余裕綽々の懐のたっぷりとある撥ねるサウンド。それでいて、メッセージの熱さと重さは変わっていない。むしろ当然のことのように深みが増している。
「乾いた花」はスイング・ジャズ風に入ってトム・ウェイツばりに暴れていくし、また「淋しい街から」は弾き語りのアレンジに近い形でさらに輪郭をくっきりとさせて心にじりじりとにじりよってくる。そして、鋭利なギターで切り裂いてゆく「After,45」や、ピアノとサックスで淡々と始まる「魂こがして」での、魂の咆哮とでもいうような叫び。
そしてもちろん、新曲も全部かっこいい。
圧倒的な存在感。
熱い。
そしてただ熱いだけじゃない。
強く、しなやかで、深い。
こんな世の中 生きるに値しないって
お前は夜に毒づく
だけど、ブラザー
“諦め”は、もっともっと値しないんだ
(TOKYO SHUFFLE)
壁に戸惑い 天に唾す
神も仏も見放しちまったと
君はまた 暗闇に 涙するけれど
いつの日かきっと出会うよ 縁
(縁のブルース)
怒りも、悲しみも。
喜びも、慈しみも。
全部を飲み込んだ上で、全部を出し切ろうとするような歌。
たくさんの若かった頃にかっこよかった人たちが、年を食って醜態を晒すのを見てきた。
つっぱって世間に啖呵を切っていたくせに、今や自分の過去の遺産にすがり、時には過去の自分の姿を嗤われるような屈辱を浴びながらヘラヘラ笑っているような人に失望させられてしまうことが増えた。
日本の国そのものが、年を食って醜態を晒し始めている。
それがこの国の閉塞感につながっている。
そしてそんな時代だからこそ、石橋凌は、若き日にちゃんとオトシマエをつけようとしている。
昔から変わらない、挑戦者のスピリットで。
とても強い人だと思う。
昔ながらの腕っ節の強さだけではなく、鋼のようなしなやかな強さまでを手に入れた石橋凌は無敵だ。
石橋凌のような強さを、多くの人はきっと持ち合わせる術もない。
けれど、その強さは、時代を照らす光になるはずだし、石橋凌はそのことを知っているからこそ、もう一度歌うことを選んだのではないか。そんなことを思った。
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かつて好きだった人の新譜にがっかりさせられ聴かなくなってしまうことが多い中、僕も躊躇しましたが、やっぱり石橋凌は別格でした。
セルフカバーも「今」の石橋凌の歌になっているし、新曲も全部粒ぞろいで古い曲と違和感なくなじんでいます。
福山雅治と共演のシングルは僕には蛇足でしたが、聴いてみる価値はありますよー。