お盆休みとボランティア休暇をはさんですっかり呆けてしまった頭と格闘しながら仕事を片付けていたら、あっという間に一週間がたってしまった。 被災地で感じたことをもう少し。 仮設住宅へ野菜や食材をお届けしていた時のこと。 「大阪からボランティアに来ました。お野菜とか持ってきたのでどうですか?」 もう何件目かで、慣れてきた口調でこう切り出すと、出てこられたのは同世代くらいの男性。 「うちは男一人暮らしで、仕事先で外食するから野菜もらってもねぇ。」 最初は遠慮されているんだと思った。 「いや、そうおっしゃらずに、ぜひ。」 「いやいや、申し訳ないけども結構です。」 何度か問答を繰り返して、結局お渡しすることが出来なかった。 なんや、せっかく持ってきてやっているのに、受け取れよ。。。 そう思った自分に気づいて、愕然。 あぁ、これってまさに善意の押し売りじゃないか。 お野菜を持って行くと、どこの仮設住宅でもとても喜ばれた。 「えぇ、こんなにもらってええんだか。ありがとうございます。」 「ほんとに助かるべぇ。ありがとう、ありがとう。」 人から喜ばれるというのはやはりとても気持ちがいいものだ。 自分のやっていることなんて、いろんな方の努力が積み重なった末に集まったものをたまたま最後に手渡す役割を与えられたに過ぎないのに、そんなこと忘れてついつい自分の手柄のように思ってしまう。 そして、受け取らない人につい「何だ、コイツ」と思ってしまった自分。 ありがとう、ありがとうと言われるうちに、どこかいい気になって、傲慢になっていた。 “困っているあなた方に与えてあげる私たち、あなた方は与えてもらう側なのだからありがたく受け取りなさい”、そんな気持ちがついつい芽生えてきてしまっていた。 震災から5ヵ月以上経って、被災地で求められるものもずいぶん変わってきている。 最初期の頃の、本当に何にもなかったときには、どんなものを持っていっても喜ばれたのだろう。 だけど、誰だって5ヶ月間カップヌードルじゃ気が滅入る。当たり前だ。 とにかく生きるだけで精一杯なときにはそんなことは考えられないだろうけど、少し落ち着いてこれから自分の暮らしを再建していきたいと願えば願うほど、「ほしい」と思うものは人それぞれに違ってくる。例えば僕だったら、テレビは要らなくても音楽が聴ける装置がほしくなるだろう。最初はラジオでもいい。でも次にはやはり自分の好きな音楽を好きなタイミングで聴きたいと願うようになるだろう。オーディオ装置が手に入ったら今度は、大好きなあのCDを聴きたいと願うようになるだろう。それは贅沢か?そういう個々人の願いを抜きに「被災者なんだからテレビがあればいいでしょう」と押し付けられたらどう思うだろうか? 一方的に“与えられる側”にされてしまうことにはおそらく大きな抵抗感が芽生える。 被災した地域と被災しなかった地域の関係は決して“与えられる側と与える側”ではない。 にもかかわらずそのことを甘受しなければならない立場になったときにはきっと屈辱感すらあるだろう。 何度も何度もボランティアに「ありがとう、ありがとう」と言葉を返すことは、かなりの精神的な負担になっているのではないか。 僕は出発前に「自分のために行く」と書いた。しかし、それは「自己満足のためだけに行く」ということではなかった。現地を土足で踏み散らかして自分はありがとうと言われて気分が良かった、なんて最悪だ。そういうことじゃない。 ならば、僕たちには、そのことを踏まえた配慮が絶対に必要だ。 そんなことを考えて、ふと立ち止まってしまった時、地元のボランティアさんの姿が目に映った。 「んだ、これ置いてっがら。気にせんでけれ。」 ありがとう、と頭を下げる方にさりげなくこんな言葉をかけておられたのだ。 「気にせんでけれ。」 そうか、そもそも「大阪から来ました」なんて言葉自体が押し付けがましかったのだ。 わざわざ大阪から来てやったんだぜ、みたいな。 そんなことで自己主張することが、相手にとってどんなメリットがあるっていうんだろう。 それに気づいてから、できるだけ地元の言葉を真似てみた。 「野菜やら持ってきたんだども。」 「扇風機やら衣類もあるべ、見でみっか?」 「んだ、気にせんでけれ。」 時間が経てば経つほど、被災地の状況は変わっていく。 家族を失った人、そうでない人。仕事がある人、ない人。車があって自由に買い物が出来る人、そうでない人。小さな子どもがいる家庭、そうでない家庭。要介護者のいる家庭、そうでない家庭。それぞれによって求めるものは様々になってくる。ご年配の老夫婦二人暮らしなどこれからも継続的な支援が必要な方もたくさんおられる。政治がやるべきこと、そのすき間でまだまだボランティアの力が必要なこと、これからも刻々と変わっていくだろう。 そのときにやはり“善意の押し付け”に陥ってはいけない。実際に困っている方の気持ちに寄り添っていくことが何よりも大切だ。 そして、さりげなく「気にせんでけれ」と言える気持ち。 本当に大切なことに気づかせてもらった。 さて、一応音楽ブログなので、今日の音楽を。 People Get Ready: Best of 1961-1968 / Impressions カーティス・メイフィールドが在籍したインプレッションズ。
どかーんと派手じゃない、熱狂的に盛り上げたりしない、けど、元気をなくしたときにさりげなく寄り添ってくれるみたいな音楽。
ほわっと温かくなる。ふつふつと元気が湧いてくる。
We're gonna move it slow
When lights are low
When you move it slow, it sounds like more
And it's all right, whoa, it's all right
Now listen to the beat
Kinda pat your feet
You got soul, and everybody knows
That it's all right, whoa, it's all right
When you wake up early in the morning
Feelin' sad like so many of us do
Hum a little soul
Make life your goal
And surely something's got to come to you
And say it's all right (it's all right)
Say it's all right (it's all right)
(It's All Right-The Impressions) んだ、とりあえずは「イッツ・オールライト」と言ってみるべ。
P.S 参加したのは「遠野まごころネット」というボランティア・ネットワークの活動です。 遠野市は、今回大きな被害があった大槌・釜石・大船渡・陸前高田といった沿岸の町から40~50kmの距離にあり、津波の被害がなかったことから、震災直後から沿岸部支援の大きな拠点になっています。 ⇒遠野まごころネットの活動については、ぜひこちらをご覧下さい。
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今日の新聞にも、被災された方で、今になってから心身不調を訴えるケースが増えているとの記事が出ていました。直後はとても緊迫して張っていた気持ちが、少し落ち着き始めてからどっと出てくるようです。
一時の高揚感は去り、でもまだまだ先は見えない。これからが本当に大変な時期です。
こんな時こそ音楽や文学やお芝居や写真の力が必要になってくるのだという気がします。