若かった頃は、長生きしたい、なんてついぞ思ったことはなかった。ザ・フーがMy Generationの中で“I hope I die before I get old”なんて歌っていたように、やることやって愉しんだら、老いぼれて醜態をさらす前にさっさとくたばった方がいい、と思っていた。本気かどうかは別にしても。けれど今は、例えば40歳を人生の折り返し地点と勝手に決めているように、少なくとも80歳くらいまでは生きるものだと勝手に思っている。そんな気持ちにいつの間にかなったのは、もちろん子供が生まれて彼女が一人前になるまでは生きて働く責任ができたことも大きいけれど、それだけでもないだろう。大したことなどできなくっても、ささやかな日々の暮らしそのものがとても大事で愛おしいものなのだという気持ちは、若い頃にはなかった。
19歳のときに「老いぼれる前に死んでしまいたいぜ」と歌ったザ・フーも、その後紆余曲折を繰り返し、78年の『LONG LIVE ROCK』では、「ロックはまだまだ死んでいない。長生きするんだ。」と歌った。パンクからの「ロックは死んだ」という発言に対する返礼だったのだろう。その年の秋にドラマーのキース・ムーンがドラッグ中毒でこの世を去ったのは本当に皮肉なことなのだけれど。ピート・タウンゼントもロジャー・ダルトリーもジョン・エントウィッスルも、若くして向こう側へ行ってしまったブライアン・ジョーンズやジミ・ヘンドリクスと紙一重の生きるか死ぬかのギリギリの目茶苦茶な暮らしを繰り返してきたのだ。生き残ってしまったピート・タウンゼントは当時33歳、生き残ってしまった側として、若気の至りで吐いた言葉にオトシマエをつけなければならなかった。 ロックの反逆的姿勢を否定せずにこれから先をどうやって成熟していくのか。『LONG LIVE ROCK』に込められたのは、彼等にとって、そしてロックにとって、大人になるということにとって、或いは生きるということにとって、切実なメッセージだったのだと思う。
Author:golden blue
“日々の糧と回心の契機”のタイトルは、好きな作家の一人である池澤夏樹氏が、自身と本との関わりを語った著書『海図と航海日誌』の一節より。 “日々の糧”とは、なければ飢えてしまう精神の食糧とでもいうべきもの。“回心”とは、善なる方向へ心を向ける、とでもいうような意味。 自分にとって“日々の糧”であり“回心の契機”となった音楽を中心に、日々の雑多な気持ちを綴っていきたいと思います。
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