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◇「きみのブルースは新品の靴みたいなもんだ」 / ナット・ヘントフ 『ジャズ・カントリー』

ジャズ・カントリー (文学のおくりもの ベスト版)

ジャズ・カントリー /ナット・ヘントフ

NHKの『トップランナー』という番組はけっこう好きで、特にミュージシャンの出る回は割とよく見ている。世間で消費される音楽とは少し違った種類の音楽をTVで見られることは少ないし(例えばハナレグミやサンボマスター、綾戸智絵さんなど、この番組で初めて出会ったのだ)、トークも含めて、その人の人となりをゴシップ的やおちゃらけではなくいろんな角度から迫っていく姿勢は好感が持てる。
そんな質のいい番組だけれど、先日出演していたなんとかという女の子のトランペット奏者はひどかった。彼女と彼女のバンドの演奏した音楽は、ジャズの形式に沿ってジャズっぽく演奏してみただけの、とても陳腐な、ソウルも何もない音楽だった。トークの場面では彼女は、ジャズという音楽の「形式」について、テーマやアドリブについて、まるで解説者のように語っていたのだけれど、彼女の吹くトランペットから聴こえてきたのは「あたし、ジャズをお勉強してきました。こんなに吹けるのよ。」ってことだけだった。

で、昔読んだ小説の、こんな言葉を思い出した。

「俺の耳に全然入ってこんのはだな、きみが何ものかってことだ。きみはまるでトランペットをいじっているみたいだ。吹けるってんでいい気になっているな。どう見ても。だが、きみは何も生い立ちを物語っていないぜ。」

「きみのブルースは新品の靴みたいなもんだ。すっかり磨き上げられているが泥ひとつついてやしない。どこへも行ってやしないんだから。」

小説のタイトルは『ジャズ・カントリー』、作者はジャズ評論家のナット・ヘントフ。
ジャズの世界に憧れる白人の裕福な家庭の高校生トムは駆けだしのトランペッターで、あるきっかけで、とても偏屈なジャズ・ピアニスト、モーゼ・ゴッドフリーに自分の演奏を聴いてもらう機会を得たのだが・・・そこでモーゼがトムに言ったのがさっきのセリフだ。

ジャズという音楽は、その出てくる音だけで、その人の人となりを、全てと言っていいほど表してしまう。
ポップスのように、歌の世界でごまかすことなどできっこない、ガチンコ勝負の音楽だ。その人が何を感じ、どんな人生を歩んできたのか、それがたった数分の音楽ですべてさらけ出されてしまう音楽。
彼女は「形式」としてジャズを演奏していたけれど、誰かを狂おしいほど愛したことがないのも、消えてしまいたいくらい辛い思いをしたこともないこともすぐにわかってしまったのだ。なのに、いけしゃあしゃあとこれ見よがしにぺらっぺらのトランペットを吹く姿にうんざりして、僕はTVのスイッチを消した。

魂などといってしまうとずいぶん暑苦しくなってしまうが、“ソウル”のない音楽には何も感じない。
音楽に限らず、映画、小説、演劇、絵画や美術や、漫才やコントにだって、ソウルのあるものとないものがある。芸術に限らず、日常の暮らしの中でも、誰かに何かを伝えようとする時、ソウルの有無は伝わり方を左右する。仕事でもそうだ。つきあっていて面白い奴や信用できる奴には、上司や部下を問わず、やっぱりソウルを感じる。彼らは、形式や義務感や大義名分だけに従って日々をやり過ごすのではなく、何かしらの自分なりの感じ方や自分なりのやり方で、自分の心の底にあるもの、自分が経験してきて感じ考えたことを大切にしながらなんとか義務や形式と折り合いをつけようとしている人たちだ。
ソウルがあるかどうかはパッと見や上辺だけでは分からない。けど、ちょっとした修羅場になればすぐにわかってしまうのだ。また、ソウルは決して「善」である必要はない。善でも悪でもプラスでもマイナスでも、なんであれ有無を言わさずひきつけられてしまうような魅力というか、ありのままあるがままをさらけだしたときの素のまんまの人間の魅力とでもいうようなものが、僕の思う“ソウル”。

ソウルフルで在れるどうかは、結局のところ、どれだけいろんなところへ行ったか、だと思う。
もちろん、たくさんの土地へ旅行へ行ったとか、休みのたびに出かけているとかいうことではない。
モーゼ・ゴッドフリーに語らせたナット・ヘントフの言葉を借りるならば、その靴でどれだけ泥を踏んづけたか、なのだ。


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Author:golden blue
“日々の糧と回心の契機”のタイトルは、好きな作家の一人である池澤夏樹氏が、自身と本との関わりを語った著書『海図と航海日誌』の一節より。
“日々の糧”とは、なければ飢えてしまう精神の食糧とでもいうべきもの。“回心”とは、善なる方向へ心を向ける、とでもいうような意味。
自分にとって“日々の糧”であり“回心の契機”となった音楽を中心に、日々の雑多な気持ちを綴っていきたいと思います。

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