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◇「君が自由だと思えば、君はもう自由なんだ」 / リチャード・バック 『イリュージョン』

イリュージョン (集英社文庫 ハ 3-1)

イリュージョン / リチャード バック


尾崎豊を聴きながら、『自由』について考えていた。

Wikipediaによると、『自由』とは…
『自由(じゆう、英 : freedom, liberty)とは、他のものから拘束・支配を受けないで、自己自身の本性に従うことをいう。
「フリーダム; freedom」と「リバティ; liberty」は、ともに自由と訳される。
現在、この2つの語はほぼ同じ意味で用いられるが、その意味合いは微妙に異なっている。
フリーは古英語 の frēo に由来し、束縛や拘束がなく義務 を免除された状態、すなわち自由の消極的側面 (しなくてよい)が強調される。一方リバティはラテン語 の libertas が語源であり、選択や行動・発言の権利 が保障された状態、つまり積極的側面(してよろしい)に比重が置かれる。
近代における自由の概念は、他者の意志 にではなく、自己自身の意志に従って行為することとして捉えることができる。』

なるほど。他者の意思にではなく、自己自身の意志にしたがって行為すること。
これは良い言い回しだ。なかなかロッケンロールな言葉だな。
「何もかもを自分の思い通りに行動する」という意味での「自由」は、社会に暮らしている以上ありえない。誰もが自分の思い通りにしようとすればそれは必ずぶつかりあうことになるからだ。
だけど、「誰かに判断を委ねる」のではなく「自分自身で判断して選択する」ことの自由は誰にでもある。もちろん、その結果としての責任を背負うことにもなるのだが、そのことも含めて何を選ぶのかを自分で考えて自分で判断することの中に「自由」がある。今、こんな駄文を書いている僕は、「明日の仕事に差し支えるからさっさと眠った方が良い」ということを選ぶか、「今書きたいと思ったことを書く」ということを選ぶかを考えて、明日の仕事の能率が下がるとか寝坊しちゃうかも、といったリスクを覚悟で「今書きたいと思ったことを書く」ことを選ぶ判断をしたわけだ。それは僕の自由だ、ってことだ。

十代の頃、「不自由だ」と感じていたのは、自分自身の判断基準も自分自身の価値観もなく、結果責任を負う能力もなかったからだ、ということは今になればよく分かる。
そういえば、そんな十代の頃に読んでショックを受けた本のひとつ、リチャード・バックの『イリュージョン』にはこんなセリフがあった。
“自由が欲しい時は他人に頼んじゃいけないんだよ、君が自由だと思えばもう君は自由なんだ。”
この物語は、自由を愛するジプシー飛行士のリチャードが、元“救世主”だった不思議な男・ドナルドに出会って、ともに旅をしながら『救世主入門』なるテキストとともにリチャードを救世主にコーチしていくストーリィを軸に展開する。
先のセリフは、ドナルドがリチャードに、かつて救世主だった頃のエピソードを話すシーンでのドナルドのセリフで、「…リチャード、このことのどこが一体難しいんだ ? でも群集は耳をかそうともしない、ほとんど全員がそんなこと信じられないって言う。」と続いてゆくのだけれど、そんなふうにリチャード・バックはこの物語の中で手を変え品を変え自分の頭で考えないこと、自分の心で感じないこと、自分で自分の限界を区切ってしまうことを、たっぷりのユーモアで徹底的に批判していくのだ。
自分の頭で考えずに、周りの意見になしくずしに同調していくこと。ある価値観を盲目的に信じ込んでしまうこと。そうやって誰かに判断を委ねてただもう子羊のように群れに沿って生きていくことのほうがきっと楽ちんなんだろう。けど、そんな人生に意味があるのか?あの頃僕は、リチャード・バックにそう問いかけられているような気がしたんだ。考え方ひとつで、人生はとてつもなく窮屈にも卑屈にもなるし、考え方ひとつでとてつもなく自由で身軽なものになるのに、誰かに自分の人生の行き先を預けてしまうなんてあまりにももったいないんじゃないのか?と。

もちろん、自分自身で責任を負って判断していくことは、とてもエネルギーの要ることでもある。
そのエネルギーを分けてもらいたくて、楽しいことを追い求めてしまうのだ。

『救世主入門』の中には、こんな言葉もあった。

自由に生きるためには
退屈と戦う必要がある
退屈を殺して灰にしてしまうか
退屈に殺されて家具になるか
激しく根気のいる戦いである



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Author:golden blue
“日々の糧と回心の契機”のタイトルは、好きな作家の一人である池澤夏樹氏が、自身と本との関わりを語った著書『海図と航海日誌』の一節より。
“日々の糧”とは、なければ飢えてしまう精神の食糧とでもいうべきもの。“回心”とは、善なる方向へ心を向ける、とでもいうような意味。
自分にとって“日々の糧”であり“回心の契機”となった音楽を中心に、日々の雑多な気持ちを綴っていきたいと思います。

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