20年も前の旅行の思い出をだらだらと書いているうちに7月になってしまった。 世の中のことに触れるとどうも気分が重くなるので(苦笑)古い思い出にでも逃げこんでおこうというつもりだったのだけど、状況は一ヶ月経っても相変わらずのようだ。 いや、むしろさらに悪化しているんじゃないかという気がする。 避難先から自宅に一時帰宅中の福島の女性が、自殺と見られる遺体で発見されたというニュースを今朝の新聞で見た。この先がんばっても希望が見えないのなら懐かしいこの家で自らの人生を終わらせおう、という彼女の行動に共感するわけではないけれど、とても非難する気にはなれない。 せっかくあの大災害から生き残った命なのに、生きたくても生きれなかった人がたくさんいるのに、それでも自ら死を選んでしまう…そこまで彼女から希望を奪い取ったものは何だ? 空転する国会。あのひとたちにはもはや、国のあるべき姿を自分たちが作っていくのだという気概が一切感じられない。みんながみんな自分の言いたいことだけ主張して相手の言うことをには耳を傾けようともしない人たちだ。 今の総理大臣は、腹が立つとか情けないとか憐れだとかを超えてもはや滑稽ですらあるけれど、あの人が辞任したところで果たして何かが変わるとはとても思えない。 そして「節電の夏」に挑戦状をたたきつけてくるような暑さ。 先週はさすがにバテた。 まさかまだ6月なのに連日35℃近くも気温が上がるとは、気持ちの準備ができる前にカウンターパンチを食らわされた感じ。クーラーの温度設定を下げないため、濡らしたタオルで首筋や手首を冷やしながらしのいではいるけれど、正直先が思いやられる。この暑さはきっとまだまだ続くんだろう。でも、奴等に「やっぱり原発、必要でしょ?」と思われるのはなんとも癪だから、できるだけの無駄を省いていきたいと思う。 それにしても、あの人たちはどうしてそれでも「原子力」をやりたいのだろう?原発がクリーンでも経済的でもないことはもはや証明されてしまったというのに、それでも原発を推進したい理由が正直僕には分からない。そりゃそれぞれには利害がある。原発が無くなってしまうと困ってしまう人がいるのはわかる。でも大局を見据えて大きな判断をし国の舵取りをするのが政治ってモンなのに。 まぁ、ぼやいていても仕方がない。 社会が大きく変わるには、10年単位の時間が必要なのかもしれない。 何をしたって変わらない、とあきらめるほどには僕たちもまだ何もできていないのだし。 そういう気分のときこそ、音楽を聴こう。Aaron Neville - I Know I've Been Changed I Know I've Been Changed / Aaron Neville アーロン・ネヴィルが昨年リリースした“I know I've been changed”、これは心が洗われるような美しいアルバムだ。
アーロンの、いかつい顔に似合わない大甘のヴェルヴェット・ボイスは、昔はどうもいまひとつ苦手だったのだけれど今や大好物になってしまった。
古いスピルチュアルやゴスペル、ブルース、そしてカントリーが、アーロンの中でじっくりと熟成されたその音楽は、とても古くさいけれど、温かく懐かしい香りがする。じわじわと力が湧いてくる気がする。どんよりと重く暗く曇った空に、やわらかい風が吹いて、雲の切れ間から明るい光りが射してくるような気持ちがする。
その昔アフリカから連れてこられ、自由も人権もなく動物のようにこき使われまともな人間としての扱いさえ受けることができなかった南部の黒人たちが、苦しみの中で求め続けたかすかな希望・・・それがアーロンの音楽の中に息づいているからなのだと思う。
I'm So Glad (Trouble Don't Last) Well, you know that I, I'm so glad
I know the trouble don't last always
Oh, I'm, I'm so glad, Lord
I know the trouble don't last always
I, I'm so glad, Lord
I know that trouble don't last always
Oh my Lord, oh my Lord
I wanna know what shall I do
What shall I do, yeah
トラブルなんてずっと長くは続かないもの。
そのことを教えてくれた神に感謝しよう
そして神よ 教え給え
私はなにをするべきなのでしょう
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僕もデモの記事など拝見しておりました。「東電へのボイコット」、まさにそういうことです。電力会社の「イヤなら買わなくてもいいよ、あなた方困るんでしょ」というような体質、庶民は馬鹿だからわからないのよ的な態度が気に入らないし、今度の事故を起こした(起きたのではなく起こしたのです)のも結局そういう体質だと思うのです。関電の根拠なく切迫感を欠いた「15パー節電要請」もしかり。
僕は世の中が変わる希望はあると思っています。イデオロギー的な闘い方よりももっと、nyaromeさんのブログにあったような“楽しいデモ参加”みたいな流れができれば。ただし10年、大災害が待ってくれるのか?こればかりは祈るしかなさそうですが。