VISITORS / 佐野元春 世間は受験シーズンを迎えているらしい。
自分自身がかつて受験生だった頃のことを思い出すととても憂鬱というか、不憫な気持ちになる。
最近はどうなのかは知らないが、僕らの頃は「受験戦争」なんて言葉があって、いい大学へ行っていい会社に入りたくさん給料を貰うことだけが子供の幸福である、とばかりに世間が子供たちを受験戦争に駆り立てていた。いい大学っていうのは偏差値の高い大学であって、そこで何を学べるかではなかった。いい会社っていうのは名の通った大手企業のことであって、そこでどんな仕事を成すかではなかった。そんな論理が正しかったのかどうかは、今の世の中が証明しているのだろう。少なくとも社会へ出て感じることは、仕事ができることと勉強ができるということは違うということ、頭がよいことと受験勉強でいい点を取れたことはまるで違うということ。であるにもかかわらず、教師や世間は、まるでそれだけが人生の一大事でここで選別されることで一生が決定するかの如き勢いで受験勉強という価値観を押し付けてきたのだ。今思えばはっきりいってあれは脅迫だ。「ここ、テストに出ますからね」なんて平気で授業で言う教師たち。僕らが知りたかったのはそんなことじゃなかったんだ。
学校はもはや退屈なだけの場所でしかなかった。一刻も早くここを出て行きたかった。今思えば押し付けられたシステムへの鬱憤なのか、クラスの人間関係は軋んでいた。或いは澱んでいた。
佐野元春が一年間ニューヨークで暮らした中から作り上げた作品『VISITORS』は、そんな高校三年生の時にリリースされた。
そこには、都会のイノセントな少年少女のシーンを切り取った過去3枚のアルバムの無邪気さやドリーミーさはかけらもなく、ギスギスして冷ややかな孤独にうち震えるような軋みや痛みがあった。期待していた佐野元春と違うことにがっかりしたものの、このアルバムで描かれた世界は、そんな鬱屈した高校三年生の気持ちにぴったりはまったのだ。
愛をこめてコミュニケーション・ブレイクダウン。
そんな言葉をノートの端っこに殴り書きしながら、僕は出て行く決心をしたのだった。
教師も親も「浪人してでももうひとつレベルの高い大学を目指すべきだ」と言った。「君には可能性があるのにチャレンジしないのはもったいない。」と。可能性?そんなものはいつだってどこにだってある、あんたがたの言ういい大学へ行くことだけが俺の可能性じゃない。受験のためのテクニックを覚えるための勉強なんてもはやまっぴらだった。意志もなくわかったようなふりをして仮面をかぶったようなこの町の息苦しい人間関係が嫌いだった。この家やこの町で与えられるものだけで暮らしていくことは簡単なことだけれど、もう一年我慢することで、きっと自分の中の大切な何かが失われてしまうと思った。
出て行く決心、それは単に受験する学校を選択する、といったことではなく、誰かの敷いたレールに乗せられた人生は歩まない、という決心だったのだと今は思う。
受験の日の朝、電車の中で、ウォークマンで大音量で聴いた"Complication Shake Down"。
こんがらかりながらすっ転びながら、自分の足で歩いてゆこうとする意志。
大事なことはそれだけだった。
♪Complication Shake Down
つかの間の自由をビートにまかせて転がり続けな
センチメンタルなギャツビー気取ってじょうずにシェイク・ダウン
すべての使い古されたブーツ 窓から投げ捨て
新しいマッチに灯をともしてアップタウンからダウンタウン
次にはゴー 次にはストップ 傷つき続けな
ユウウツな気分にかきたてられてもじょうずにシェイク・ダウン
ライトを浴びているジャジー・ジェイ 今夜はゴージャス
真夜中のシーツにくるまりながらみんな ひとりぼっち
愛をこめて コミュニケーション・ブレイクダウン
I'll keep walkin' on this complication Shake down
クールなふりしてルーズに恋して毎日 ドルチェ・ビタ
去年はマリエンバッドで君とパントマイム・パントマイム
アップ・トゥ・デイトなファッション サービスのためのフィクション
ドラッグにあふれたTV そして陽気なSuicide(自殺)
マンボ・チャチャ・ボレロ・ルンバ・タンゴ・サンバ・ディスコ
悲しみの果てに優しくなるほど優雅な気分じゃない
誰かがどこかで本当のシナリオを陰にかくしている
オレには危険のシルシが見える 君とのコミュニケーション
愛をこめて コミュニケーション・ブレイクダウン
I'll keep walkin' on this complication Shake down
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