オーティス・レディングは1941年ジョージア生まれ、サム・クックやリトル・リチャードに影響を受けてシンガーを目指し、1964年にデビュー。ストーンズの“Satisfaction”を独特のノリでカバーしたり、モンタレー・ポップ・フェスティバルに出演したりして、そもそもは黒人だけのマーケットだったR&B/ソウルを、白人層に広く浸透させることに大きく貢献した一人。 1967年12月、ツアー移動中の小型飛行機が墜落し、わずか26歳にして天に召される…その死の直前に録音したこの“The Dock of the Bay”が死後に全米№1ヒットに…清志郎が大きく影響を受け、「ガッタガッタ」というシャウトや、ライヴでのセリフ「愛しあってるかぁ~い。」はそもそもオーティスがやっていた…なんていうことは今さら書くまでもないことだろう。
多分、中学生の頃、FMラジオのR&B/ソウル特集かなんかで初めて聴いたんだと思う。独特のしわがれ声で歌われる哀愁。その頃は「あぁ、こんな歌もあるんだ」程度だったと思う。やがてロック、ブルース、ソウルと聴きこんでいくにつれ、「オーティスといえばDock of the Bayみたいな軽いものより I've been lovin' you too longのディープさだ」とか「Try a little tendernessのこの昇天しそうなくらいの魂の高揚こそがソウルだ」だの、「カーラ・トーマスとのTrampが最高にファンキーだ」 だのいわゆるツウぶってみせた挙句に「オーティスはノドで歌ってばっかりでソウルフルじゃない。やっぱりウィルソン・ピケットだ、エディ・フロイドだ、ソロモン・バークだ、アレサだ、アル・グリーンだ、いやダニー・ハサウェイの方が熱い、OVライトの方が渋い、いや渋さならジェイムス・カーだろう」…などとどんどん深みのはまっていき、いつの間にか隅っこの方へ追いやってしまったのが、僕の中でのオーティス・レディングだった。 で、改めて古いカセットテープを引っ張り出して聴いてみて、その独特の哀愁感に圧倒されている。バラッドはもちろんファンキーなジャンプナンバーですら消えない悲しみの感情。 多くの黒人ソウルマンはゴスペルの影響を受け、その悲しみの感情を神への祈りへ昇華させてゆく、その過程での魂の高揚感こそがソウルの醍醐味だと思う。けれど、オーティスの声に深く浸みこんだ悲しみ感は、もっと身近で、もっと切羽詰っているように聴こえるのだ。決して癒されはしないというか、癒されることなど求めずに、悲しみを抱え込んだまま日々を突っ走ってしまおうとしようとしているような、そんな感じ。
このところ、年末に向けていろいろ多忙で、なんだかずいぶん疲れている。疲れが溜まった時にはいつも、なんともいえない無常な気分に襲われてしまう。 冷たい雨が降る外を眺めながらThe Dock of the Bayを聴いていた。ラストの口笛をなぞって真似てみる。なんともいえない無常感は決して消え去りはしないけれど、ほんの少し力が湧いた。それはその口笛に癒されたのではなく、癒しなど求めなくても癒されなくてもこのまま続けていけばいいんだ、というある種の開き直りに近い感覚。それでいいのだろう、きっと。
Author:golden blue
“日々の糧と回心の契機”のタイトルは、好きな作家の一人である池澤夏樹氏が、自身と本との関わりを語った著書『海図と航海日誌』の一節より。 “日々の糧”とは、なければ飢えてしまう精神の食糧とでもいうべきもの。“回心”とは、善なる方向へ心を向ける、とでもいうような意味。 自分にとって“日々の糧”であり“回心の契機”となった音楽を中心に、日々の雑多な気持ちを綴っていきたいと思います。
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