先日、Eストリートバンドを従えてのニュー・アルバムを発表した“BOSS”、ブルース・スプリングスティーン。多分、スプリングスティーンが“BOSS”と呼ばれるようになったのはこのアルバムからだったと思う。1984年のメガヒット・アルバム。“Born in the U.S.A”が、その反戦的な歌詞とは裏腹に、アメリカ賛歌として捉えられ、スプリングスティーンは街のチンピラから一躍ヒーローに担ぎ出され、社会現象にまでなっってしまったアルバム(星条旗のジャケットのインパクトも強かったのだろう…僕にはどう見たって、アメリカ国旗に向けて立小便しているようにしか見えないのだけれど)。 メガヒットのレコードの宿命として、強く時代性を帯びてしまったこのレコードは、名盤でありながら今聴くと非常に古臭く感じられてしまう。個人的にもこのアルバムはある時期あまりにも濃く聴きまくったせいで、自分自身のある一時期を強烈に焼き付けすぎていて、その頃を思い出すことなしには聴けないレコードになってしまった。
当時高校三年生だった。冴えないベッドタウンでの冴えない毎日の中で息が詰まりそうだった。さっさとこんなところから抜け出してしまいたい、そんな気持ちをナイフみたいに隠し持ちながらロックンロールをヘッドフォンでマシンガンみたいにぶっ放すことでなんとか毎日をかろうじて生き延びていた・・・なんていうとかっこよすぎるけれど、そんなたとえを出したいくらい追い込まれていたように自分では思っていたんだと思う。 一番好きだったのは、“No Surrender”。当時のLPレコードのB面の一曲目。うねりを上げて疾走するパワー・チューン。「俺は退却しない、屈服しない」と歌う強い意思の表明。 この曲を聴くと今も、♪Like soldiers in the winter's night with a vow to defendなんてフレーズを吼えながら上り坂を必死こいてチャリンコこいで登校していた冬の朝を思い出す。もうすぐだ、もうすぐ自由になる、なんて歯を食いしばりながら。
あの頃とは状況は違うけれど、時々、たまに、「あ、もういいか」なんて弱気になることがある。ただ一度弱気になってしまうと体を支えていた心棒がぺしゃっと折れてぐにゃぐにゃになってしまいそうで、今までの全てが台無しになってしまいそうで、それが怖くてなんとか自分自身を支えている、そんな気分に苛まれる。 そんな時は、あの頃の冬の朝みたいに、白い息を吐きながら、♪Like soldiers in the winter's night with a vow to defend なんて鼻歌で口ずさんでみる。頭の中でビートを鳴らして。今日も一日いろいろあるであろう雑多なやっかいごとをぶっとばすおまじないみたいに。No retreat, baby, no surrender.のところで心で拳握ってみたりして。 あぁ、もうちょっとがんばってみることにしよう。でなきゃスプリングスティーンに申し訳ないな。
Author:golden blue
“日々の糧と回心の契機”のタイトルは、好きな作家の一人である池澤夏樹氏が、自身と本との関わりを語った著書『海図と航海日誌』の一節より。 “日々の糧”とは、なければ飢えてしまう精神の食糧とでもいうべきもの。“回心”とは、善なる方向へ心を向ける、とでもいうような意味。 自分にとって“日々の糧”であり“回心の契機”となった音楽を中心に、日々の雑多な気持ちを綴っていきたいと思います。
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