Neither One of Us / Gladys Knight & Pips 判官びいきというわけでもないけれど、派手なスーパースターよりも、地味渋びいきなところがある。女性ならアレサ・フランクリン、ダイアナ・ロス、ロバータ・フラック、ディオンヌ・ワーウィック、ミニー・リパートン…モータウンならスティーヴィー・ワンダー、マーヴィン・ゲイ、テンプテーションズ、フォー・トップス、スモーキー・ロビンソン、ジャクソン5…それらに負けず劣らずのスーパースターなのに、なぜか脚光を浴びることが少ないグラディス・ナイト&ザ・ピップスが好きだ。
コーラスグループの伝統を引き継ぐオーソドックスなハーモニー、黒人グループではこれもよくあるファミリー/兄弟姉妹の編成、なによりグラディスのこれまたオーソドックスながらもソウル・フィーリングに満ちたヴォーカル。アップでファンキーなナンバーではぐいぐい引っ張り、メロウなナンバーではぐっと惹きつけるその歌声。曲自体も当時の一流作家陣によるもので悪かろうはずがない。
なのになぜか地味。いわゆる「華」がないのか?生真面目、実直すぎるのか?そう言われればそういう気もする。ここ一番での押しが足りない。何でも器用にこなせるけれど、ここぞという時の決め技がない。実力は勝るとも劣らないのにいつの間にか後塵を拝してしまう。
でもそんな、地味だけどコツコツと自分らしさで勝負する…ひょっとしたら「華」のある人をうらやんだりもするのかもしれないけれどだからといって高望みをしたり自分がやればあざとくなるような真似はしない、それでいてどんな状況でも水準以上の仕事をきっちりとこなしてさもそれが自分の役割とばかりに平然としている…そんな人が魅力的だと思うのだ。男でも女でも。
1972年の「さよならは悲しい言葉」はモータウン時代の彼らの最大のヒット曲で、ヒット・チャートで全米2位。2位ってのがらしくていいね。
アレサなら暑苦しく泣き叫び、ダイアナ・ロスなら大袈裟に盛り上げるだろうこのせつない別れのバラードを、グラディスはせつせつと歌いきる。その抑えた表現が、よりこの歌のせつなさをかきたててている。
(拙訳:Neither One of Us)
私たちが今ここに一緒にいないことは
とても悲しいこと
もうごまかしの効かない場所にたどり着いてしまった二人
いくつかのどうしようもない理由が
なすがままに進んでいくことを許さない
けど、私たちふたりとも
最初にお別れを切り出せないでいるの
あなたがいなければどんなだったのかしら、っていつも思うの
きっとあなたも同じことを思っていると思うわ
いっそこのままウソをつき通して
暮らしていきましょうか
なぜって、私たちふたりとも
最初にお別れを切り出せないでいるから
いつも気付いてはいるの
いつも言おうと思ってはいるの
立ち去ってゆこうと
思い出
たくさんの懐かしい思い出をしっかり抱えこんで
神様は私だけだと知っている
もしお別れのときが来たとき
私だけが淋しいのだと
こんな簡単な言葉が言えない
こんな簡単な言葉が
でもほかに道はない
それだけがハッピーエンドで終わらせる方法なの
傷ついて
まだもう一度トライできると自分自身を納得させるフリをして
そう、私たちふたりとも
最初にお別れを切り出せないでいるの
私たちふたりとも
最初にお別れを切り出せないでいるの
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