Too Rye Ay / Dexys Midnight Runners フィドルやバンジョー、フルートなど、およそロックとは似つかわしくない楽器の音がせつなく美しくかっこいいこのアルバムは、おいしい紅茶でも淹れてほっと一息つきたいような気分の秋の一日によく似合う。“ケルティックソウルブラザース”から始まる10曲が切れ間なく続く構成のこのアルバムは、バイオリンをバックに朗々と歌いあげる曲もあれば、ホーンセクションや女声コーラスも含めてバンバン盛り上がる曲もあり、その音楽はまさにケルト風ソウルともいうべきサウンド。ヒットした“カモン・アイリーン”が有名だけど、これはソウル・オペラの大団円で、決してこの曲だけの一発屋ではなくアルバムトータルでひとつの世界が表現されていて、何か良質なお芝居でも見た後のような聴後感が残るのだ。
デキシーズミッドナイトランナーズというこの長ったらしい名前のバンドは、ボーカルのケヴィン・ローランドを中心にイングランド中西部の工業都市グラスゴーで結成、メンバーは入れ代わり激しく実質はローランドのソロ・プロジェクトだ。ソウルやR&Bに、自らのルーツであるアイルランドのトラッドをブレンドしたその音楽は、古臭くもあり新しくもある。元々はパンクから出発してソウル/R&Bに目覚めたバンドはジャムを筆頭にこの頃のイギリスにたくさんいたけれど、そこへ自らの民族的ルーツを取り入れたのは彼らが最初ではなかったかと思う。
アイルランドやウェールズ、スコットランドといった、いわゆる大英帝国の辺境に暮らすケルト系民族は、元々紀元前400年ごろまではヨーロッパ全土を席巻していたらしい。しかし、ゲルマン人の大移動とともに辺境へ追いやられ、以来虐げられ続けてきた歴史を持つ。
そんな彼らにとって、アメリカの黒人による、虐げられた歴史の中で解放への叫びや、貧困や逆境の苦しみや悲しみや、そんな暮らしの中での小さな喜びを歌ったり、憂さを晴らすための陽気なステップを踏ませるブルースやR&Bは、とても親しいものだったに違いない。小さな頃から親しんできた、いわば血肉となっているケルト民族のダンスミュージックと黒人音楽との融合は、彼らの中でごく自然にあったのではないだろうか。
彼らの音楽の向こうに、支配者に収奪され貧しいまま一生を終えていくしかなかった、年に一度のお祭りだけが解放される一瞬だった、父親もおじいさんもそのまたおじいさんもずっと変わらない暮らしをし続けていた…そんな農民たちの暮らしが見える気がするのだ。
(拙訳:PlanB)
きみはいつも何かを探し続けてきたけれど
結局見つけたものはそこそこのもんでしかなくって
固く目を閉じ きつく拳を握り締めるしかなかった
けど、立ち上がろう
奴らの計画や奴らの要求なんて無視して
別の計画を立てるんだ
奴らはきみを試したりする
でもそんなの関係ねぇ!
作戦B
今週僕は、僕らがうまくやっていくために事足りる強さを手に入れるんだ
チョーシにのってきたぜ
さっさと逃げ出しちゃおう
熱く燃えているんだ
きみに何かを売りつけたりするつもりは無いさ
きみが冗談を言い続けてたら
奴らはきみを黙らせようとする
それは一番最低なこと
それは一番最低なことさ
囁きは時に大声に勝る
まだ充分じゃないって自分に言い聞かせてみなよ
さぁ
きみの見ているものだけを信じちゃダメだ
きつく拳を握り締めて
僕ら立ち上がろう
奴らの計画や奴らの要求なんて無視して
別の計画を立てるんだ
奴らはきみを試したりする
でもそんなの関係ねぇ!
作戦B
今週僕は、僕らがうまくやっていくために事足りる強さを手に入れるんだ
それにしてもビル・ウィザースは最高だな
ビルになりきってさ、“リーン・オン・ミー”を熱唱するぜ
作戦B
チョーシにのってきたぜ
さっさと逃げ出しちゃおう
熱く燃えているんだ
きみに何かを売りつけたりするつもりは無いさ
この曲、こんな訳で正しいのかどうかは自信はないけど、抑圧されたのものへの連帯の歌と解釈した。
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