峠のわが家 / 矢野顕子 キンモクセイの香りがする、遅く目覚めた遅出出勤の午前中。
童謡「ちいさい秋みつけた」のアッコ流カバーが入った、矢野顕子さんの『峠のわが家』をウォークマンで聴いていた。
このアルバムは本当にすごい。シンセサイザーとドラムのゲートエコーなど、作りはもろ80年代の音なのに、今聴いてもまったく古臭くなっていない。
矢野顕子さんは、本当に天才だと思う。
ジャズやクラシックをかじった音楽的に才能豊かな人は得てして技術や理論に溺れて、こじんまりした想像力のない音や技術偏重の心の見えない作品を作ってしまったりしがちだけれど、彼女の音楽は高い技術と温かいセンスを兼ね備えつつ、すっと心に入り込んでくる自然な存在感がある。
そしてその歌の表現する世界に魂ごと乗り移ったかのように入り込んでいくその表現力。ほんわりと包み込んでしまうような母のような包容力と、人としての温かさ。決してグラビア的な意味では美人ではないけれど、媚を売ったセクシーさじゃなく、人としての魅力からにじみでる女らしさ。何よりその自由さ。
私生活でも奔放な人なのだろう。
高校を中退して18歳でデビュー、19歳でミュージシャン矢野誠と今でいう出来婚、5年後離婚、長女の出産後に坂本龍一と入籍、昨年二度目の離婚。そんなキャリアですら、誰も否定的に捉えないのは、その明るく自由奔放なキャラゆえのことだと思う。
明るく自由奔放であり続けるには何事にもへこたれない強さが必要だ。強さを維持するにはきっと膨大なエネルギーが要るのだろう。『そこのアイロンに告ぐ』には「他の光に依らず自ら輝いて」という一節もあるけれど、矢野さんはまるで太陽みたいにエネルギーの塊のようにさえ見える。しかも気負いなく暑苦しくもなく自らのために放たれる輝き。
普通、エネルギーは使えば使うほど減ってしまうけれど、人間力のエネルギーに関しては、実は使えば使うほど増える。使えば使うほど。
ステージやセッションでの瞬間瞬間でいつも完全に自分を解き放っているからこそ、それらがすべてエネルギーとして増幅されるのではないかという気がするのだ。
ここまで来たのは
喜ぶ顔みたいだけ
本当にそれだけ
自由 ほんとに
自由 こんなに
(THE GIRL OF INTEGRITY)
果てしなく広がる街からひとりはなれて
読み返すあなたからの手紙
漂う思い出
David
私たちはこんなに遠い
時間も場所も
ここへ置いていって
静かな微笑を
遠い日々の歌を
(David)
アルバムの一曲目“THE GIRL OF INTEGRITY”は、まるで矢野顕子のアイデンティティ宣言のような歌。
二曲目の“DAVID”は、結果的に寄り添えなくなってしまった人へ捧げられたような歌だ。不思議と悲しくはない別れのメッセージ。
自由奔放な女の人は素敵だ。もしそんな女性に関わってしまったら、たくさんたくさん振り回されるし、最後にはきっと痛い目に遭うのは間違いない。けれど、それ以上のエネルギーも分け与えてくれる。そもそもそんな人をずっと捕まえておくのは土台無理な話なのだ。だって、いつまでたってもどこにいても何をしても、彼女は彼女自身で、誰のものにもならないのだから。
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