フラッグスタッフの町はその日、しょぼしょぼと降る霧のような雨だった。 グランドキャニオンを見るために、僕はこの小さな町のユースホステルに宿をとった。 日本を出ておよそ二週間。 ゴールデンゲイト・ブリッジも見た。フィッシャーマンズ・ワーフで貝や海老を食べた。ハリウッドにも行った。サンタモニカで初めてボード・ウォークなるものの正体を知った。サンディエゴから歩いて国境を渡ってメキシコものぞいてみた。 だけど、それが一体何だというのだろう?僕はひとりで一体何をしているんだろう?ただ観光地を訪れて日がなうろうろしては移動しているだけの僕の行動に果たして何か意味などあるのだろうか? 雨の降る田舎町で曇った山影を見ながら、僕はそんな気分に落ち込んでしまっていたのだった。 グランドキャニオンは確かに雄大だった。 たくさんの観光客がいた。 みんな、コロラド川が作り上げた、世界でも稀な巨大な峡谷を見に来たのだ。 けど、グランドキャニオンは、みもふたもなく言ってしまえば、ただ大きな地割れがあって、たくさんの地層が姿を見せているだけの場所だった。 すでにテレビやなんかで何度も見たことのある景色でしかなかった。 楽しそうなカップルや家族連れ、或いは団体客に紛れて、僕はまた今までの二週間と同じように、ひとりぼっちでうろうろしただけだった。 日本を出ておよそ二週間。 今、なぜ自分がここにいるのかの意味を見失いかけていた。 その夜ユースホステルに帰った僕は、共同シャワーを使った後、2Fにあるロビーでソファに座ったまま、うとうと眠りに落ちてしまった。 実際のところずいぶん疲れが溜まっていたのだろう。 知らない場所に一人でいることは、すべての行動をそのときその場で一人で判断しなければならないということで、それは日常生活に比べて大きなエネルギーを必要とする。まして海外。その緊張の連続が疲れとなって日々積み重なっていたのだと思う。 どれくらい時間が経ったのだろうか、ふと音楽が聴こえてきて目を覚ました。 生演奏のやわらかなアコースティック・ギターの音。 明るいのにどこか哀しげな歌声のカントリーソングだった。 その音楽は階下にあるカフェから聞こえてきていた。 ソファに寝転がってしばらくの間、その音楽を聴いていた。 何となく、落ち込んだ気分でいることが馬鹿らしくなってきた。 なぜ、今自分はここにいて、何をしようとしているのか?いや、もうそんなことはどうでもいいじゃないか。そのことに意味があろうとなかろうと、僕は今ここにいる。目の前で起きることを見て、聴いて、感じる、それだけでじゅうぶんじゃないか。 そうだ、そういうことにしよう。 それよりも腹が減った。たまにはファストフード以外のものを食べなきゃ。 そして、僕は階下のカフェへ向かった。 GP / Gram Parsons 雨の降る日にグラム・パーソンズを聴いていて、あの日のことを思い出した。
あのとき階下から聞こえてきていたのは、グラム・パーソンズみたいに、透明な明るさと哀しさをもった音楽だった。
Gram Parsons - She 今でもときどき、意味もなくテンションが高くなったり、エアポケットに落ち込むみたいに無気力になることがあるのだけれど、そんなときは実はたいてい疲れが溜まっているときだったりする。
気持ちの回転数とカラダの回転数は少しだけずれていて、ほっておくとバランスが狂ってしまう。時々調整が必要なのだ。
その調整方法は、ぐっすり眠って、おいしく飲んで、心をやわらかくほぐしておくこと。
心をやわらかくほぐす方法はいろいろあるけれど、さしあたっては心地のよい音楽を聴くのが効果大。
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中原中也、学生の頃にずいぶん惹かれたものですが、もうすっかり忘れてしまっていました。
文庫本を探してきてパラパラめくってみたら、引っかかる場所が昔とちょっと違うのですね。
うーん、ますます、こういう文庫本でも持って一人旅したいなぁ、って気分になってしまいました。