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♪Nothing's in Vain / Youssou N'Dour

Nothing's in Vain..
Nothing's in Vain / Youssou N'Dour


ユッスー・ンドゥールは西アフリカのセネガルの国民的スーパースター。伝統の民族音楽とロックやR&Bを融合したアフリカの都市の音楽を、世界中に発信し続けているアーティストだ。イスラム的な節回しとアフリカ的なパーカッッシヴなリズム、ソウルフルで時に真実をえぐるように鋭利な声とサウンドには意志と力が漲っている。その力の源である、祖国の伝統や国民への愛、イスラムへの信仰心の篤さにはただただ圧倒されるばかりだ。
2001年には米国のテロ報復によるアフガニスタンへの攻撃に反対して全米ツアーをキャンセルしたユッスー。そして2002年に発表されたこのアルバム。ジャケットの、廃墟と化したカブールの街でサッカーに興じる少年たちの写真…ここに彼のメッセージがすべて込められているように思う。

もう15年以上も前になる。
無職の頃、アメリカ合衆国を3ヶ月かけて横断した。ロサンゼルスからニューヨークまで、グレイハウンドバスを乗り継いで。
自分でも意外だったのは、決して英語が堪能ではない僕でも、思った以上に何の困難もなく暮らせたことだった。都市部では人と会話をしなくても生活が成り立つのだ。マクドナルドに入れば言葉を発しなくても金出して指をさせばハンバーガーを食べられるし、コンビニだってホテルだってタクシーだって長距離バスだってみんなそう。みすぼらしいなりをした僕に親しげに話してくれたのはホームレスや路上芸人やミュージシャンや旅人ばかりだった気がする。そんな土地との接点の薄い無言の旅をしながら、まるで自分の育った文化への巡礼をしているような気がしてきた。いわゆる日本の伝統文化よりもはるかに、孤独で快適なアメリカの大量消費文化に自分の育ちのルーツを感じてしまったのだ。
次の年、アルバイトでせっせとお金を貯めて、今度はエジプト・トルコ・パレスチナを訪れた。アメリカへの旅が何のカルチャーギャップも感じなかったことの反動から、まったく異質な文化圏へ足を踏み入れたくなったから。そしてこの旅は何から何までおもしろいことだらけだった。
今までの暮らしの常識がまったく通用しない、すべてが新鮮で刺激的だった。昼間でも時間が来たら閉める店、買い物のたびに必要な価格交渉、誰彼構わずとにかく話しかけてくる人々。昼間から茶店にたむろする大人たちが路上にはじき飛ばす煙草の吸殻。朝出かける時から夕方帰る時までずっと同じ場所に座っているお爺さん。親切だけど当てにならない道案内。まとわりついて質問攻めにし、軽くいなそうとすると悪口をたたく子供たち(アラビア語でも悪口を言っていることは判るのだ)。いつでもどこでも超満員のバスと、絶対に割り込めない芸術的なまでの路上サーキット。砂埃を上げる未舗装のメインストリート。観光客を狙って怪しげにたむろするせこい商売人たちは必ず売値の倍の値段を吹っかけては「なぜ買わない?」を連呼する。うっとおしいけど憎めない、疲れるけれどそれは日本の暮らしやアメリカの旅での疲れとは異質の疲れだった。ぼったくられふっかけられせびられもしたし、あわや強盗されるのかという目にも遭ったけれど、彼らのせこく、こすっからく、そして迷いのない生き方(もっとも、迷う選択しすら実は与えられていないという現実もあるのだろうが)には共感した。そしてかつて日本にもこんな暮らしがあったことを思った。

イスラムの国々へ足を踏み入れてひとつだけ日本人の誤解がよく分かったことがある。日本人はイスラムの国=第三世界=遅れた文明の国、と思っているけれど、彼らからすればアメリカにしろ日本にしろポっと出てきた新興国でしかなくって自分たちの国こそが世界の中心なのだ。尺度は自分たち。アメリカや日本からからかすめとろうとはしても媚びる事はない。僕らが学校で教わった世界史は欧州中心史観だけれど、欧州がただの森と草原だった頃から、彼の地には既に大いに栄えた文明があったのだ。その誇りは未だ失われてはいないようだった。
戒律が厳しいことで知られるイスラムの教えにしても「自由の国」の僕たちからは酷く窮屈に見えるけれど、その昔栄華と繁栄を極めた末に資源の枯渇に陥った彼らが、人間が欲望のままに振舞うと人類は滅びるから戒律で行動を律し戒める必要がある、と広まったものなのだと知った。つまりイスラムはすでに世界の終わりに一度直面した後の来るべき時代への考え方がちりばめられた宗教なのだということ。
それを知らない遅れてきた僕たちは、イスラムの人々が敢えて踏みとどまったボーダーをいとも簡単に飛び越えて、蒸気機関と石炭石油を武器に世界中を荒らしまくって欲望のままに食い散らかし使い尽くした結果、地球全体を巻き込んでの滅亡の危機に瀕してしまっている。実際、僕らが今享受している文明が曲がり角に来ている今、イスラムような戒律が僕らの社会に必要なのではないか、などと本気で思うことがある。欲望のままではない、ある一定の制約を敢えて受け入れること。
ちなみにイスラムとは、「神に意志を受け入れ神に委ねる」という意味なのだそうだ。「神」と言われると拒否感が出るが、イスラムには「神」を神格化することを避けるため神の肖像そのものがない。神(アッラー)は人の姿をしていない、大きな宇宙意志と考えるべきなのだそうだ。



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Author:golden blue
“日々の糧と回心の契機”のタイトルは、好きな作家の一人である池澤夏樹氏が、自身と本との関わりを語った著書『海図と航海日誌』の一節より。
“日々の糧”とは、なければ飢えてしまう精神の食糧とでもいうべきもの。“回心”とは、善なる方向へ心を向ける、とでもいうような意味。
自分にとって“日々の糧”であり“回心の契機”となった音楽を中心に、日々の雑多な気持ちを綴っていきたいと思います。

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