カバーズ / RCサクセション 暑い夏がそこまで来てる
みんなが海へくり出していく
人気のない所で泳いだら
原子力発電所が建っていた
さっぱりわかんねえ、何のため?
狭い日本のサマータイム・ブルース
熱い炎が先っちょまで出てる
東海地震もそこまで来てる
だけどもまだまだ増えていく
原子力発電所が建っていく
さっぱりわかんねえ、誰のため?
狭い日本のサマータイム・ブルース
寒い冬がそこまで来てる
あんたもこのごろ抜け毛が多い (悪かったな、何だよ)
それでもテレビは言っている
「日本の原発は安全です」
さっぱりわかんねえ、根拠がねえ
これが最後のサマータイム・ブルース
(サマータイムブルース / RCサクセション )
1988年、RCサクセションはロックの名曲の替え歌集を録音。しかし、反原発のメッセージを持ったこの曲が東芝EMIの規制により発売中止騒ぎとなり、そのことが社会的な波紋を呼んだ。
清志郎はこの後、ザ・タイマーズという覆面バンドを結成してゲリラ的に麻薬やら天皇制やら社会的にタブーとされてきたことをテーマに歌いまくり、その行動は社会派ロッカー扱いされるまでに及んだけれど、清志郎が歌いたかったのは、ひとつひとつのメッセージ云々ではなく、替え歌のひとつも自由に歌えない社会、個人の意見を圧力で押しつぶそうとする社会の力への、個人的な抵抗だったのだと思う。
新潟中越沖地震での柏崎刈谷原発の火災事故を受けての調査で、IAEAは「目に見える重大な損傷はなく、被害は予想より軽微だった」との調査報告を公表した。けれど、それをどこまで信用していいのかはもはやよくわからない。少なくとも電力会社は、万が一の事態が発生していたとしてもそのことを緊急に報告せず「混乱を避ける」などの言い訳の元に隠蔽しようとするものだということが、今回の一件で改めてよくわかった。
個人を、一人一人それぞれが暮らしを営んでいる一人の人間としてみようとしない社会的な権力の存在。或いは自己の属する組織の利益最優先の中から出てくるそういった考え方。清志郎が抵抗していたのはまさにそのことだし、今回の選挙で与党が惨敗したのも突き詰めればこのことにぶちあたるのではないか?今の政治は個人の顔や個人の暮らしが見えていない、と。原発賛成とか反対云々とかイデオロギー云々ではなく、「一人一人それぞれが暮らしを営んでいる一人の人間としてみようとしない」様々な事象…それこそその最たるものが戦争だと思うけれど…に対しては、いつだってNOと意思表示していきたい。
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