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◇印度放浪

印度放浪 (朝日文庫)

印度放浪 (朝日文庫)/藤原 新也

歩むごとに、ぼく自身と、ぼく自身の習ってきた世界の虚偽が見えた。
ぼくは歩んだ。出会う人々は、悲しいまでに愚劣であった。出会う人々は悲惨であった。出会う人々は滑稽であった。出会う人々は軽快であった。出会う人々は、はなやかであった。出会う人々は、高貴であった。出会う人々は荒々しかった。世界は良かった。

1960年代末、当時23歳の藤原新也がインドで目にしたもの。それは、川辺りで荼毘に付される死体の燃える足であり、ガンジスを流れてくる女の死体を橋の上から興味本位に覗き込む人々やその死体を空からついばむカラスであり、生まれたばかりの赤ん坊を間引きせざるをえない貧しい夫婦であり、印を結んで目も前で息を引き取りつつある修行僧であり、鴨一羽を獲るために滑稽なまでの狩りをする男であり、避暑地で観光客相手にぼったくろうとする商人であり、市場の喧騒であり、汽車のイスを奪い合う人々であり、眠りモノ食らい排泄する人々の営みであり、インドの自然をそのまま写実したような人々の暮らしであった。それらひとつひとつのエピソードは、まるで長い長い詩篇のように連なり重なり合いながら、人が生きることの底知れないほどの奥の深さ、得体の知れなさ、虚しさ、悲しさ、憐れさ、滑稽さ、そして素晴らしさを、鮮やかに描き出している。そしてその向こう側に、生と死があらゆる場所から切り離されてしまった末に、生きることの意味を見失ってしまったような僕らの国の姿を浮かび上がらせる。

ずいぶん久しぶりに読み返したこの「印度放浪」。
棚の整理をしていたら転がり出てきた、すっかり角が丸くなってはげかかったこの本。ちょっとパラパラとめくっていたら、ワクワクして止められなくなってしまった。
19かハタチくらいの頃、この本を初めて読んだ時は本当に衝撃的だった。その写真の一葉一葉、文章の一行一行が突き刺さるように飛び込んできて、ある種の思考を強要するのだ。俺は自分を捨ててインドへ行ってこんなことを体験してきてこんなことを感じてきた、さぁ、オマエはどうなんだ、オマエは誰で何をするんだ、と、若き日の藤原新也が喉元にナイフを突きつけるように迫ってくるから、僕は僕で僕が僕であるための何かをしないわけにはいかなかったのだ。

この本に描き出された旅からもはや40年が過ぎ、いろんなことが変わってしまった。今インドへ行ってもこのときに藤原が見た光景や触れた思想に出会えるわけではないだろう。鏡のように映し出される僕たちの国の姿も変わったし、決して悲観するばかりでもないと思う。
そういう意味でこの本はもはやクラシックになってしまったけれど、ここで描き出された若さ故の熱さ、或いは、熱気を求めてさまよう若さ、それはきっといつの時代にもある。場所がどこであれ、青春時代と呼ばれるようなある特定の一時期には、歩むごとに、ぼく自身と、ぼく自身の習ってきた世界の虚偽が見えるものだ。そしてその頃に出会う人々は、まるで自分の写し絵みたいに、愚劣で、悲惨で、滑稽で、軽快で、はなやかで、高貴で、荒々しく、素晴らしい。



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Author:golden blue
“日々の糧と回心の契機”のタイトルは、好きな作家の一人である池澤夏樹氏が、自身と本との関わりを語った著書『海図と航海日誌』の一節より。
“日々の糧”とは、なければ飢えてしまう精神の食糧とでもいうべきもの。“回心”とは、善なる方向へ心を向ける、とでもいうような意味。
自分にとって“日々の糧”であり“回心の契機”となった音楽を中心に、日々の雑多な気持ちを綴っていきたいと思います。

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