Larry & Lee / Lee Ritenour 日本国内に旅行に行くつもりはない。沖縄か北海道以外は。
理由は簡単、“気候”が変わらないから。寺社仏閣や有名建築物などの名所旧跡にも、美しい風景にもあまり興味がないから、日本国内ならどこへいっても同じように感じてしまうのだ。気温や風土は変わっても、日本独特の湿気を含んだ“気候”は残念ながら変わらない。それならいっそ、気候の違う国の音楽を部屋一杯に流したほうがまだ旅行気分を味わえる気がする。
例えばこの、リー・リトナーとラリー・カールトンの95年の共演盤。
リー・リトナーとラリー・カールトンは、フュージョンが時代を席巻した当時の2大ヒーローでありライバル同士だった。けれど、それぞれが独自の流儀でそれぞれのアプローチを展開しており、同じファン層でありながら決して相容れないようなものがあった。吉田拓郎と井上陽水とか、江川卓と西本聖とか、ビートたけしと島田紳助とか、中森明菜と小泉今日子とか、或いは村上龍と村上春樹、そんな感じ?だから、この二人の共演にはびっくりしたし、聴く前には正直、「NHKの『ふたりのビッグ・ショー』かよ!」なんて思ったりしたのだけれど、聴こえてくるのは、いわゆる企画モノにありがちな金儲けやわざとらしさの匂いのしない正直な音。ライバル同士の“ギター・バトル”なんて熱い展開ではなく、お互いがお互いの長所をそれぞれ認め合い引き出しあうかのようなリラックスした心地よい演奏。本当にお互いがお互いと共演することを必然としていたのだなぁ、と感じさせる音。
若い頃は、身の回りにあるものを何でもかんでも吸収して自分の中に取り入れながら自分の可能性を見つけてゆく。そんな時にライバルの進み方を横目で見ながら「あいつがあっちなら俺はこっち」というふうに自己を規定してゆくことがある。そんな風にしてそれぞれがそれぞれの揺らがない確固たるものを見つけた後には、そのライバルに「もしかしたらそうなっていたかもしれないもう一人の自分の可能性」を見てしまうのかもしれない。そして、そのライバルと共演することが、改めて自分自身が歩んできた道程や得たものの確かさを確認する場所になる。二人がこのアルバムを録音した50代というのはそんな年齢なのかもしれない、などと想像してみたりするのだが実際のところどうなんだろうか。
スピーカーからは、西海岸カリフォルニアのさわやかな空気をそのまま持ち込んだような、湿気の少ない音色の伸びやかなフレーズの音楽が鳴り続けている。新聞やTVのニュースに溢れる世界の現実の暗さなどまるで存在しないかのような、能天気で心地よい世界。
たまにはこんなのもいいだろう。
大げさな話、個人としてのささやかな幸せの追求だけが、壊れかかった世界を救うのかもしれない、などと本気で思ったりしている今日この頃なのだ。
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