Negotiations & Love Songs / Paul Simon 7月4日はアメリカ建国記念日。
1976年。世の中は「アメリカ建国200周年」とやたら盛り上がっていた。僕は小学校3年生だったのだけれど、なんだかよくわからないなりに、世の中がバカみたいに明るくにぎやかなお祭り騒ぎ、いわゆる「躁状態」-そんな言葉はもちろん当時知らなかったけれど-だったのを覚えている。
その頃、時代は大きく変わろうとしていたのだと思う。
家の前の田んぼが埋まって駐車場になった。よく遊んだ溜め池も埋め立てられて道路が走った。僕の住んでいた田舎町にもショッピングセンターができ、外食チェーン店ができた。何より、6つ離れた弟の着ている服が明らかに僕や兄貴の同じ年のころと違っておしゃれだった。
何もかもが便利で快適になっていくのが当たり前だと思っていた。
僕は小学生だったからそれが当然のように思っていたけれど、今思えば世の中全体がそんな風に、日々便利で快適なっていくのが当たり前で、古くなっていくものには価値がないと思っていたようなふしがあった。なんとなくだけれど、「アメリカには素晴らしいものがたくさんあって、自由で幸せで豊かな暮らしがあって」と誰もが思っていたようだった。
ポール・サイモンが歌うのは、そんな躁状態のアメリカや、日本から見た憧れのアメリカとはまるで違う、懺悔と絶望のアメリカ。
こんな歌だ。
(拙訳:American Tune)
何度も何度も失敗して何度も何度も混乱し、もう何度も何度も二度とやるまいと心に誓う。
けどまた確実にへまをやらかしてしまうのだ。
でもまぁいいさ、もういいんだよ。
僕は骨の髄までくたばっているんだ。
今までのように陽気な美食家でありたいなんて望んではいけない。
故郷からこんなに遠く離れてしまった。
こんな遠くまで来てしまったんだよ。
打ちのめされることのない魂があるのかどうかは僕にはわからない。
打ち解けた友達もいない。
どうしても心の中から締め出す事の出来ない夢、あるいは跪かずにはおれない夢ってものがあるのかどうかも僕にはわからない。
けどまぁいいさ。もういいんだよ。
僕らずいぶん長い間うまいことやってこれたじゃないか。
ただ、これから先のことを考えるとね、
うまくは行かないだろうね。
どうすることもできないけど、うまくは行かない気がするんだよ。
死んでしまうことを夢見たこともある。
魂が思いがけず高揚する夢も見たことがある。
振り返って、僕を安心させるように微笑んでほしい。
それから空を飛ぶことも夢に見た。
自由の女神が僕の目線よりも高く、はっきり見える。
海の彼方へ。
空を飛ぶこと。
夢に見た。
僕らはメイフラワー号と呼ばれる舟に乗ってやってきた。
月まで行ける舟に乗ってやってきた。
はっきりしない時代へやってきて、アメリカの歌を歌っている。
でもまぁいいさ、もういいんだよ。
もう二度と溜息をつくことは許されない。
昨日はただの一日に変わってしまい、
僕は安らぎを手に入れようとしている?
僕は安らぎがほしいだけなのさ・・・
ほとんどは孤独な男の絶望の呟きで占められたこの歌。
けれど、それが3番になって、個人の思いではなくアメリカという国に当てた歌だったことがわかる持っていき方の巧みさ。ポール・サイモンがアメリカという国に寄せたペシミスティックな視点。
明るく楽しく夢に溢れているように見えたアメリカは、その頃既にこんな孤独感に蝕まれていたようだ。
そして、アメリカが世界中に輸出した「自由と快適な暮らし」の果てに、誰もがこんな感情を親しく感じる時代がやってきてしまった。
そして残念ながら、僕らはそれでも「自由と快適」をもはや捨てることができないでいる。
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