このブログを書き進めるにあたってたくさんのアーティストの歌詞を訳してみているけれど、中でも特に、深いなぁ、ブンガクテキだなぁ、と思わされるのは先のポール・サイモンとこのエルトン・ジョン。 直接的な言葉を使わずに、ちょっとした言い回しで微妙な心のひだのような部分を見事に表現してしまうようなスパイスの効いたフレーズ。それから、映画のワン・シーンみたいな世界がふっと頭の中に浮かんでくるようなイメージの喚起。物語のすべてを語らない情景の切り取り方。もちろんそこに素晴らしいメロディーと表現したい世界を忠実に再現する演奏があってこその音楽であって、詞だけをとらまえて音楽を語るつもりはないけれど。 例えば、この歌、淡々としつつも味のあるバラード“I guess that why they call it the blues?”はこんな感じ。
この歌の作詞は、エルトンの長年の相棒であるバーニー・トーピン。バーニーとエルトンのつきあいはエルトンのデビューの前に遡る。 60年代末、音楽出版社に作曲家としてなんとか入り込んだ若者レジナルド・ドワイトは、その出版社に作詞家志望で作品を送り続けていたバーニー・トーピンという若者と組んで曲を作ることになる。その偶然の出会いが花を開き、レジナルドはエルトン・ジョンとして、バーニーを専属作詞者としてレコード・デビューする。 そして二人は70年代のヒット・チャートを見事に駆け上り№1ソングを連発する。二人はずっとバーニーが一方的に詞を書いてエルトンがそれに曲をつけるスタイルでやってきたのだそうだ。 けれど、表舞台でスーパースターの脚光を浴びるエルトンと裏方のバーニーの間の溝はやがて少しずつ深まり、エルトンが引退をほのめかした1976年にコンビを解消。 その後エルトンは違うパートナーと曲作りを行うが、期待通りヒットせず、やがてドラッグや酒におぼれてゆく。バーニーは自分のバンドを組んでソロ・アルバムを出したりしたもののやはりパッとしない。 二人がコンビを全面的に再開させたのは、7年後の1983年、この曲が収録されたアルバム「Two Law for Zero」。そしてエルトンは再びスーパースターの座に返り咲いた。
Author:golden blue
“日々の糧と回心の契機”のタイトルは、好きな作家の一人である池澤夏樹氏が、自身と本との関わりを語った著書『海図と航海日誌』の一節より。 “日々の糧”とは、なければ飢えてしまう精神の食糧とでもいうべきもの。“回心”とは、善なる方向へ心を向ける、とでもいうような意味。 自分にとって“日々の糧”であり“回心の契機”となった音楽を中心に、日々の雑多な気持ちを綴っていきたいと思います。
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